思う存分無心の世界を楽しんでから、オレはカッと目を見開きへこみ攻略に取り掛かった。
へこみは明らかに人為的なもので、誰かがこの塔を登るために、または登らせるために一つ一つ作られたもののようだ。
へこんだ部分に指を引っ掛け、力を込めて体を持ち上げ、という行動を繰り返す。まだ慣れない低い位置で指や足が外れて落下してもめげずに挑みかかる。
この塔の壁は側面からの強い刺激で壊れるので、休みたい時にはへこみを縦に広げてそこに座り込んだ。疲れるのではなく飽きるのだ。
しかしここでは目を瞑ってしまうと指を引っ掛けた部分が崩れてしまったりという事故が起こるため、時折腰を掛けて懐古する。瞼の裏の色付きを楽しんでからまた登る。
ある程度の高さを制覇すると、落下の恐怖が生じた。落ちて痛みがある訳でもない。けれど万が一そのまま『消滅』という死でも迎えてしまったら、ここまで来て悔やまれる。
せめてこの塔の天辺が見てみたい。このへこみを作った誰かもそうだったのか、休憩のし易い地点が増えてきた。オレは最近食べ物のことも思い出すようになった。
生魚、草、虫、ラーメン、土。もっとたくさん。どれもその人生の時にはまぁまぁ美味しく感じていたものの、この体のせいかとりわけ『人間』の食べ物に焦がれるようになった。
ラーメンに浮いた透き通る脂、ハンバーグにとろりと纏わり付くデミグラスソース、手軽に購入できた味の濃い牛丼。
どうやらオレは肉や脂が好きみたいだ。涎こそ出なくても、体が欲する。
ヴァリエーション豊かな食べ物の記憶を間に挟みまた登る。
休憩中にへこみについて思いを巡らせることも多々あった。
これを掘った誰かも、オレと同じようにいきなり【箱】に入れなくなったのだろうか、とか。どんな奴なんだろうとか。そいつが最後になった生き物ってなんだったんだろうとか。
オレの興味は完全に『へこみを作成した誰か』に飛んでいた。それはこの世界で唯一感じられる『【箱】の外の他者』がそいつしかいないからだ。
そしてそいつのおかげで心が平静を保てているからだ。
オレはその誰かの苦労を甘受しているだけに過ぎない。そいつはオレよりももっともっと苦労したはずだ。でこぼこなへこみがそれを嫌でも教えてくれる。
たまに思う。その誰かは頂上に辿り着いて、その後脱出なり【箱】への復活なりが出来たのだろうかと。もしも、もしも出来ていなかったらこの上で一人どんな思いでいるのかと。
狂ってしまっていたら助けてあげたい。一人じゃないのだと、何の助けにもならないがオレも同じなのだと。
それで少しでも安心してもらえたら、希望を与えてくれたことの恩返しに少しでもなるだろうか。
オレは登ることを再開した。過去の回顧ではなく誰かに出会うかもしれない、もしくはこの状況からの解脱という未来を見据えて。
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考え方を変えたらあっという間、とは行かないが、目指すものが出来た分ぐんぐんと上へと引っ張られるようになり、そしてとうとうこの塔を登り切った。
そこは白い空間だった。空という概念もない、ただの『上方』。
そして中心に遥か高みまで続く梯子が一つ。
その根元に――――彼は、いた。