はたけカカシの消滅

 沈黙が耳に痛い。
 抱えられたイルカ先生も、抱えた俺もどうしていいのか分かっていないのだから黙るしかない。
 そして静かなこの空間が打破しづらくなりまた黙るといった魔のスパイラルに我々は陥っているのだった。
 ああ、それにしてもイルカ先生暖かい。
 イルカ先生の体温を感じ安心し始めている俺はとうとうおかしくなってしまったのかもしれない。
 そもそも俺はイルカ先生をどう思っているのだろう。
「あの・・・」
 今の俺には、先生にあまり関心のなかった二週間前とは、彼が全く違って見える。
 寄せられた眉の間に吸い付きたい。鼻の傷の回りがほんのり染まっているのに舌を這わせたい。夜に濡れた睫毛や瞳を俺のものにしたい。
「カカシ先生?」
 いつも張っている声が弱弱しいのも愛おしい。
 ・・・ん? 声?
「カカシ先生!」
「わわっ、イルカ先生すみません!俺ちょっと動転しちゃって」
 呆れたものだ。思考の渦に呑み込まれて声をかけられているのにも気がつかないだなんて。
 それも二週間ぶりのイルカ先生なのにもったいない。
 俺は慌てて先生を床に降ろすととりあえずテーブルの前に座布団を出し、そこで座って待っているようにお願いしてお茶を淹れに台所へ向かった。
 イルカ先生は今とても困っている。困らせているのは俺だが、その俺も困っている。俺が困っているのはイルカ先生の行動のせいだ。
 話をしよう。
 嫌われているのならどこが嫌いなのか理由を聞いて、直せる所なら直そう。
 前までは普通だったのだから存在がムリとか、そう言うのじゃないと思う。
 そう決心を固めている内にお湯が沸いてしまったので急須に茶葉と湯を注ぎ、湯呑みに移してリビングへと持っていった。
 イルカ先生はそわそわとしていて落ち着かない。当然だ。
 おそらく仕事をしているイルカ先生を拉致してきてしまったのだろう。
「えーっと、とりあえずどうぞ」
「あ、え、はい。いただきます」
 イルカ先生は俺の淹れたお茶を飲んでくれた。
「あの、美味しいです」
 もじもじしている。それも可愛く見える。別のことでもじもじさせたい。
「良かったです。あんまり茶葉とかこだわらない方なんで・・・」
 再び訪れる静寂。
 今度は俺が破ることにした。
「イルカ先生、最近俺のこと避けてましたよね?」
 先生がギクリと体を強張らせた。
 分かっていたことだけど本人に意志があってやっていたことだと告げられたようで、やっぱり淋しい。
「考えてみたけど理由が思い当たらなくて・・・イルカ先生に無意識に悪いことしちゃったんだったら謝ります。ごめんなさい」
 とりあえず頭を下げたが、イルカ先生は俯いてしまった。
「俺は先生に避けられてて辛かったので、直して欲しいところがあるのなら教えてください。
 あなたに嫌われるくらいなら自分を改善するくらいどうってことないんです」
 テーブルがカタカタと揺れだした。
 ――泣いてる?
 泣いてる。泣かせてしまった。俺はまた何か失敗をしてしまったのだろうか。
「あ、あのイルカ先生」
「どうして」
 へ?
「どうしてそんなに優しくして下さるんですか? なんとも、思ってないくせに、俺のことなんか」
 俺がイルカ先生のことを思っていない?
 それは二週間前までの俺だ。
 今は思考のほぼ全てがイルカ先生で、余った少しもめぐりめぐってイルカ先生のことだ。
「俺は貴方が大事です」
 俺の言葉にイルカ先生が眉を吊り上げた。目も吊り上げた。でも子供を叱る時とは全然違う表情だ。
「そんなことあるわけない!じゃあアンタ、俺がアンタに抱いて欲しいって頼んだら抱けるのか? こんな野暮ったくてむさい男抱けるのかよッ」
 野暮ったくてむさい。
 少なくとも今までそんな印象を俺は彼に持ったことがない。
 尻尾が可愛いと思っていた。今では全てが可愛いと思っている。
 抱けるだろうか。
 夜の業師だった頃の俺の手管で乱れる先生を想像した。
 エロい。エロ可愛い。
 愚息が直立した。お赤飯だ、ヤギと踊ろう。
 妄想だけで勃つのだから大丈夫だろう。俺はイルカ先生を抱ける。
 むしろ今抱きたい。
「抱けます」
 イルカ先生が涙を流したまま放心したような顔になった。
 眉も目も元の通りに落ち着いている。うん、こっちの方が好き。
 しかし先生がうんともすんとも言わなくなってしまったので眦に口付けてみた。
 油を差し忘れた機械みたいにゆっくり俺と目を合わせた後、先生はトマトのように真っ赤になった。
「な、ななななな」
「抱けますよ俺は。他のヤローはヤですけど、貴方は抱きたい。
ていうか、もう女も抱きたくない。貴方だけが欲しい」
 俺がそこまで告げるとイルカ先生は「ぬわー」と叫んで倒れてしまった。
 仕方ないので火影様に式を送って俺のベッドに寝かせることにした。
 その後俺が何をしたのかは神のみぞ知る。
 ちなみに先生のお尻はまだ無事だ。反応のある時にシたいからね。


   ******


「んん・・・」
 イルカ先生が目を覚ましたみたいだ。
 時刻は夜の8時を回ったくらいで話をする時間もある。
「せんせ?」
 状況を呑み込めないのかうろうろする瞳にむしゃぶりつきたいくらいだが、上忍パワーでぐっと堪える。
 踏ん張りどころだぞマイサン。
「わーっ!」
 先生は布団に潜ってしまった。深追いすると逃げるのが全動物の性なので布団の上からぽんぽんとなるべく優しく叩いてみる。
「そのままでいいので聞いて欲しいんですが大丈夫ですか?」
 布団の塊がもぞもぞと動く。肯定なのか否定なのか判別がつかないので俺はそのまま言葉を続けた。
「俺は先生が好きですよ。恋愛の意味で好きです。 だから先生に嫌われるのは悲しいです」
 先生のもぞもぞが止まった。
「イルカ先生はどうして俺を避けてたんですか?  俺が嫌いですか?」
 イルカ先生が首だけ出した。亀みたいだ。
「違います・・・」
 そのまま泣き出してしまいそうな声だ。そんな表情をさせたいんじゃないのに。
「嫌われてないなら、いいです」
 俺は布団から離れようとしたが、にゅっと出てきた先生の腕に手首を掴まれてそこに留められた。
「違うんです・・・好きなんです。 気持ち悪いとか、嫌われる前に、カカシせんせに、離れて・・・嫌われるの、怖くて」
 支離滅裂。しかし俺の耳は確かに聞いた。
 イルカ先生が俺を好きと言ったのを。
 先生は言葉を普段の理路整然とした様子からはかけ離れて、断片的な言葉をボロボロとこぼしだした。
 お利口な脳みそで繋げてみるとこうなる。
イルカ先生は俺のことが好き。
→俺に嫌われるのが怖くて自分から俺への恋愛感情を失くしてしまおうとした。
→辛くてどうしようもなかった所で俺に拉致され、優しい言葉を掛けられ激昂し、抱けると告げられてパニックになって意識を失った。
「じゃあカカシさん消滅計画って、俺に対する恋心を消すためだったんですか?」
 俺が驚いた声を出すとイルカ先生が布団を跳ね除けて飛び上がった。
「な、何で知ってるんですか!?」
 しまった。黙っていようと思ったのに。
 言ってしまったものは仕方ないので俺は正直に手帳を拾ったことを話した。
 ついでに火影様を疑って殴りこみに言ったことも話したら先生はうな垂れてしまった。
「ごめーんね?」
「俺が変な態度をとったからです。でも後でなんて言ったら・・・」
 頭を抱えて「あー」だの「うー」だの妙に艶かしく呻く先生に愚息が根を上げたので、彼の意見を代弁することにしよう。
 何というか、俺もさっきから限界なのだ。
 悩むイルカ先生には悪いけど、俺は本懐を遂げさせていただくことにした。
「・・・ねえせんせ、俺達両思いですよね?」
「へ?」
「もう恋人同士でいいんですよね?」
「あ、あの」
 俺ははたけカカシ。里の誉れで木の葉の業師。古今東西の技を千もコピーしたコピー忍者だ。
「シたいです」
 そして夜の業師。
「抱けるかって訊いたのはイルカ先生です。俺は抱けます。先生は抱いて欲しいみたいですし」
「カカシさん、あの時はちょっと混乱してて」
 でもこれからは持てる全ての技術をこの人に捧げることにする。歴代の火影に誓ったっていい。
 俺のことが大好きで大好きでしょうがなかった可愛いこの人ならこれで落ちてくれるはずだ。
「ね?」
 首まで真っ赤になって蚊の鳴くような声で諾と答えた先生は、それはそれは股間に痛かった。
 二週間前から、もしかしたらもっとずっと前からかもしれないが。
 愛してるよ先生。上忍の俺が何もかも手につかなくなるくらい。


   ******


「おいカカシ、お前大丈夫なのか・・・?」
 アスマが心配する理由が分からない。
 愛しい恋人が出来て一週間、俺は今日もテッカテカに元気だ。
 DUISS(誰かにウスラトンカチと言わないと死んでしまうシンドローム)クランケのサスケには相変わらずウスラトンカチ呼ばわりをされているが、俺はこれでもかってくらい絶好調なのに。
「アスマー、今日もこの里とイルカ先生を守るために任務頑張っちゃったー」
「そ、そうか」
 アスマが視線を合わせない。イルカ先生という最高の伴侶を手に入れた俺が眩しくて直視できないのかもしれない。
 お前も紅ともう少しイイ感じになればいいのにな!
「イルカせんせったらかわいーの!俺のこと好きすぎてあんな可愛いことしちゃうし」
「あー」
「ラーメンばっかり食べてるかと思ったら料理上手なんだよー。俺筑前にがあんなに美味しいだなんて知らなかった!」
「いー」
「ちょっとヤキモチ焼きのトコもイイよねー。俺が女に声掛けられると何も言わないけど眉毛をちょこっと下げるの」
「うー」
「そんな嫉妬しなくても俺は先生にゾッコンなのにね!」
「えー」
「ちょっと聞いてんの?」
「おー」
 アスマじゃ反応が良くないな。もう少し人生経験を積んだ人間の方がこの滾る情熱を理解できるかもしれない。
「つまんないな。火影様んとこ行くか」
「あー・・・って待て待て!お前親父にも惚気るつもりかよッ」
 アスマの怒鳴り声を背中に俺は火影室へと向かった。
 その道中、あの黒い手帳を拾った廊下を通る。
 イルカ先生があの手帳を落としていなかったら、俺は原因も分からず何となく元気がなくなる身体に違和感を覚え病院に行っていたかもしれない。
 あの時知らんぷりをしていたらと思うと今でも少しゾッとする。
 結局あの手帳はデ○ノートではなかったし、計画も途中で頓挫した。
 消滅したものが何かというと夜の業師の称号くらいか。
 しかし実際、失ったものよりも得たものの方が格段に大きい。
 どうして戦い、どうして人を殺すのか悩んだ時期もあった。しかし今はその理由が分かる。
 俺は手に入れたものを取りこぼさないために今日も戦うのだ。
 あの人も、子供達も。そして里人の笑顔も全部。
 俺の中のイルカ先生への思いが消滅することはないだろう。
 しかし火種は絶え間なく燃やし続けるに限る。火の意志が絶えないように。
 俺は頭の中で感動的な理由をつけて意気揚々と火影室の扉を叩いた。

 一言も喋らない内にパイプを投げつけられた。


Back Novel Top Next