不穏分子の殲滅の任務を終わらせて夜遅くに暗部詰所に戻ると、猫面の後輩がヒョコヒョコと寄って来た。
名をテンゾウと言い、初代火影様の細胞を大蛇丸に移植されて生き延びたというハードな経歴の持ち主なのだが、
本人は飄々としていて暇さえあれば木遁アートなる珍品を量産している。
「お疲れ様でした。聞きましたよ? 一閃だって」
裏切り者といえ同胞だ、後味の悪い任務だった。だが割り切らないと暗部なんてやってられない。
俺には今『イルカくんに会える』という最大の動力があったので、どんな内容でも仲間や自分の命を最優先にした行動をとることにしている。スマートに、長引かせないのが一番だ。
「力の差を見せつけてやるのが仕事でしょ。あー疲れた。茶」
はいはい、とテンゾウが茶汲みスペースへ向かう。ポットと何種類かのインスタントの飲み物が置いてあるだけの簡素な場所だが重宝している。時々テンゾウが木屑を混入したり、他の奴が唐辛子を混ぜたりするのも慣例となっている。それの最初は俺が入隊したての頃癇癪を起こして忍犬の糞を乾燥させたものを混ぜたということはあまり知られていない。
湯飲みにティーバッグと湯がドボドボと注がれるのを手持ち無沙汰で眺めていたら、ああそういえばと猫面がこちらを振り返った。
「ナルト卒業決まったみたいですよ」
俺が出動前に気にしてたのを覚えていたらしい。
「本当!?」
やった、会える。
しかし喜んだのも束の間、続けられた言葉に俺は固まった。
「はい。まあいろいろ大変だったみたいですけどね。
アカデミー教師が里を抜けようとしたんですけどそれにナルトが利用されたらしいです、
九尾のことも喋っちゃったみたいだし。
ナルトを庇った教師は酷い怪我で病院送りですよ。里の待機組ほぼ全員出動で大変だったんですから」
「……は?」
ナルトを庇うような教師を、俺は一人しか知らない。
里で変わらずそこにあり続けると信じていたアノ人。
「だから、待機してたら出動命令がですね」
「その前」
酷く喉が渇いて、差し出された湯飲みをひったくって一気に呷った。味も熱さもあったもんじゃない。喉を通したはずなのに潤うことはなかった。何が混ざっていたかも感知できない。
「え、ああ。ナルトの担当教諭の中忍が重体になったんですよ。俺真っ先に駆けつけたんですけど、現場は血の海でした。背中からの出血が止まらなくて医療忍来るまで動かせなくて」
頭の中が真っ白になって病院へ跳んだ。いつも自分が目を覚ます暗部用の病棟に向かいかけて、慌てて軌道修正して一般病棟を目指す。胸がバクバク鳴っているのは駆けているからではない。
闇夜の木々のざわめきが最悪の状況を示しているようで背筋に悪寒が走った。病院に着くなり、暗部の権限で部屋番号を聞き出し、看護師の制止を物ともせずまた駆ける。集中治療室ではなかったものの、俺の鼓動は鎮まらなかった。
白い引き戸を開けると、引き戸と同じ色をした薄暗い部屋の中、ベッドの上に変わり果てた想い人の姿があった。
つい先日まで健康的だった肌は全て包帯の下だ。唯一除く右目も閉じられている。幼い頃からのトレードマークだった黒髪は無残にもざんばらに切られている。
点滴のパックを見ると強い睡眠薬が投入されているようだった。それも残り僅かになっている。
パタッ、パタッと一定のリズムを刻み、管を流れて彼の腕から体を回る液体。
上下する胸に生を感じホッとしていいはずなのに、到底そんな気持ちにもなれず、俺は頭を抱えた。
何が内勤だから安全だ、なんて思い違いだ。
忍びとしての自分は優秀な部類なのだと思い上がっていた。大馬鹿者だ。
内勤だろうが暗部だろうが外回りだろうが、常に生命の危険に晒されているのが忍び。
俺の考えていたことは、彼を低く見ていることに他ならなかった。
こんなんじゃ向き合えない。
最後に少しだけ、唯一覗く瞼に触れて、あの夜感じた彼の温もりを上書きして去ろうと思った。
らしくもなく指先が震える。触れたら、さよならだからだ。
しかしあと数ミリ、というところでその右目が開かれた。開かれたのだが。
「誰?」
瞳も声も、別人で。
「……誰?」
思わず同じ言葉を返してしまった。
「いやこっちが聞きたいんだけど」
「だよねぇ」
包帯の男の言うことはもっともだったので、俺は同意するしかない。
「あの、この病室うみのさんのじゃあ……」
看護師の勘違い?
「うみの中忍はそっち。私は睡眠とれって強制的に眠らされてただけ」
男は点滴の繋がっていない方の腕でカーテンを指した。えっ、病院って全部個室じゃないの?
どうやら暗部棟と一般棟では常識が異なるようだった。
「うみの中忍も、こっそりラーメン出前しようとして大目玉食らってたから同じ薬が投薬されて眠ってるはず」
「ら、らーめん」
ナルトとしょっちゅうラーメンばっかり食べてるのは知ってたけどまさかこんな所で、酷い怪我で入院しても食べたがるなんて。
二人があまりにも野菜を摂らないから、俺はラーメン屋の店主に頼んで野菜を増量するように頼んでいる。
「うん。なんか大切な人にもうすぐ会えるから、それまでに早く治さなくちゃとか言ってたね。相当な怪我だって聞いたけど本人びっくりするくらい元気だよ」
――――それって。
滑稽なことに、包帯の男のその一言でイルカくんから離れようとした俺の先刻の決意はあっという間に霧散した。待ってたのは俺だけじゃなく彼もだったことを思い出したのだ。
どうもイルカくんに関わることだと、俺の頭は一般人以下となる。
「さて、私はもう出るから。ごゆっくり」
男は点滴を抜いて、ぎしぎしとストレッチをしながら立ち上がった。
「アンタ、包帯だらけだけど大丈夫なの?」
「これは昨日今日の怪我じゃないから。気遣いどーもね、暗部さん」
男は扉からスタスタと出て行った。おそらく手練の上忍だろうが、会ったことはない。
男の気配が遠ざかったのを確認して、俺は静かにカーテンを開いた。
イルカくんだ。
肩と病院着の合わせ目から覗く包帯は痛々しいし、何本も伸びる管には目を逸らしたくなるけど、その寝顔は十四年前と変わらず健やかで、幸福を煮詰めたような表情をしていた。
ラーメンの夢でも見ているのか、定期的にもごもごと口を動かしている。
いいなあ、やっぱり。
この優しい人が守ってきたナルトはどんな子に成長しただろう。
この愛しい人が育ててきた子供達はどんな表情をする忍びになるのだろう。
テストに通るだろうか。
ここ数年、俺の決めた基準を突破する子供はいなかった。
だけどこの人が育てた子供達なら……。
俺はカーテンを閉め直し、自宅へと戻った。
下忍試験で目こぼしも切捨てもせず、真っ向からぶつかれる自分を作るために。
******
子供達は骨があった。
少々不安定ながら火の意志はしっかり流れている。
「ごーかっく」
俺の思う忍びの心得を説いてから、三人を引き連れて受付所へ向かう。
引き連れてというか、早く早くと急かすナルトと、それほどでもないにしても足取り軽いサスケとサクラの三人に引き摺られて、と表現する方がはたから見たら正しいだろう。
とうとう三人は足取りの重い俺に焦れたのか先に駆けて行ってしまった。やれやれ、もう少し躾けないとね。
俺もイルカくんに会いたいのは山々だ。でも、だって、ほら。人生の一大イベントの前は誰だって緊張するでしょうが。
尻のポーチに入れたダイヤを指で確認して、子供達の後を追って扉をくぐった。
「イルカせんせー、俺ごーかくしたってば!」
「おお、やったなナルト。それにサクラもサスケも、よく頑張ったな」
ざわめきの中、弾む声。
「先生、あの人私達の先生です」
「なかなかデキるヤツだ」
「サスケ、上忍師の先生にそんな言い方はないだろう」
サスケの口調を嗜める表情は厳しい教師のそれだ。すぐにこちらに向き直って、彼はぴょこんと黒い尻尾ごと頭を下げた。
「どうもスミマセン、オレは……」
イルカくんが俺の髪に釘付けになったのが痛いくらい分かった。
言葉の途切れた彼を子供達や同じ受付忍、火影様までもがぽかんと眺める。
俺はそれに構わずにポーチを探った。
「欲しいもの言ってもいーい? ずっと我慢してたから」
「……どうぞ」
黒い瞳に水の膜が張り、頬っぺたは真っ赤だ。あの夜、おねしょをしてパニックになった彼を髣髴とさせる。ちなみにあの布団はこの世の全ての物質と流れる時間を異にして俺の実家の床の間に飾ってある。
でも今は別のことに集中だ。黄金水の染み込んだ布団よりもシーツよりもパンツよりも、もっともっと欲しいものを手に入れるための、一世一代の勇気を振り絞る時だ。
「あのね、石ちょうだい」
右手を差し出し強請った。イルカくんの頭の上にはクエスチョンマークがたくさん並んでいる。
「え?」
「ね、いいから」
わたわたとベストのポケットから取り出されたダイヤを受け取って、二つの石を一つに合わせた。
「この石で指輪を作ってプロポーズしたら、貴方は受け取ってくれる?」
サクラがキャアと声を上げた瞬間火影様から繰り出された火遁を、印を結んで結界で防いだ。
イルカくんの返事を待つ間、指だけは忙しなく動かし続けて周囲からの攻撃をシャットアウトして呼び出した忍犬で返り討ちにする。
「ぷ……ろ?」
「もうずっと待たせて不安にさせちゃったから、今度はずうっと一緒にいられる約束を貴方にあげたい」
イルカくんは知らないだろうけど、俺ずっと貴方に片想いし続けてるんだからね? と告げると、イルカくんの瞳が溶けて頬を伝った。
「慰霊碑に名前が、ないって分かって、ホッとしました」
「うん」
「お兄ちゃんが、俺の中で大きな心の、支えで」
「うん」
言葉が出なくなったのか、イルカくんは俺に抱きついて声を上げて泣いた。その背中をぽんぽんと擦っていると、やがて結界の外の攻撃も止んだ。
「今日石をお店に持ってくとね、出来上がるの九月十五日なんだ」
イルカくんが頭を持ち上げ、首を傾げた。ナニコレかわいい。
「その日俺の誕生日」
「え、お祝い……」
「だからね、指輪を渡すから受け取ってください。貴方を俺に下さい」
必死って言葉は今の俺を体現するために生まれた単語だろう。
そして歓喜という言葉は、イルカくんが首を縦に振ったこの瞬間の俺を表す単語だ。
涙でぐしょぐしょのイルカくんに顔を近づけ、素顔が誰にも見られないように素早く口布を下ろし、しっかりと口付けた。
阿鼻叫喚となった結界の外を尻目に、俺達は長い時間そのまま互いを感じ合っていた。
******
十四年前の五月二十六日に結んだ約束は、十四年後の九月十五日から別の、永遠の約束になった。
完結です。
「お兄ちゃんのことは好きだけどそういうのじゃないです」
って言われたらどうするつもりだったんだろう。
十四歳の時が一番変態な気がする。