加筆修正済みなので140字超過してます
【プロローグ】
俺の忍獣は夜という黒猫だ。
すらりと長い尻尾は自慢のようで毎日の手入れを欠かさない。
彼女の恋人は上忍のはたけカカシ、彼は毎日夜に会うために我が家へ通う。
カカシさんは彼女を気遣い体を重ねるような無体はしない。
その代わり同じ匂いだからと俺を抱く。
ちなみに俺が彼に恋をしているのは秘密だ。
【1】
イルカ先生は俺のことを猫に欲情する人間だと思っている。
それは誤解だ。
俺は彼に告白したかったのだ。
しかし「性的に好きなんです」と告げた瞬間彼のキリリとした眉がハの字に下がったのが目に入ったから……気づいたら「夜のことが」と付け加えてしまった。
俺の大馬鹿者!
【2】
それからは夜を言い訳に彼の部屋に通いつめた。
だがある日イルカ先生はとんでもない言葉を口にしたのだ。
「以前夜のことを性的に好きだと仰ってましたよね」
彼の中で俺はただの変態だった。
「そ、それは匂いが」
「匂い?」
「嗅ぐと興奮して…」
嘘ではない。
夜から薫るイルカ先生の匂いは俺の欲を煽る。
【3】
「匂い…」
「こ、興奮しても猫相手だから無体なんて強いません!」
ここで誤解を解かなければ余計引かれてしまう。
俺は弁明につとめた。
しかしイルカ先生は何を思ったのか物凄い申し出をしたのだった。
「夜の主としてそのお気遣いに感謝します。それであの……代わりに俺の後ろを使われますか?」
【4】
「後ろ…」
後ろって言ったらアレだ、夢にまで見たイルカ先生のお尻の……
「い、イルカ先生もっとご自分を大事に!」
「でも」
先生は頬を赤らめて腰をもぞりと動かした。
微かな水音と薫る百合の芳香。
「準備したの? 自分で?」
先生はこくんと頷いて甘い溜息を吐いた。
それを嗅いだらもうダメだった。
【5】
本当は夕日沈む火影岩から二人の関係を始めていきたかったのに、何故俺は変態と勘違いされたまま彼の尻をこじ開けているのだろう。
帰りは待ち合わせをし手を繋いで同じ家に帰りたいと願っていたのに、どうして心通じ合わないまま腰なんて振ってるんだろう。
それからズルズルとこんな関係が続いている。
【6】
「どうすればいいと思う?」
俺の相談相手は専ら夜だった。
上忍仲間にこんなことは言えないし、忍犬達は色事に疎い。
動物社会ではモテモテという彼女に犬語で恋愛相談をしている俺はさぞ滑稽だろう。
「正直に言えば?」
「それが出来たら苦労はしないよ」
縁を切られるのが怖い、それに尽きる。
【7】
「イルカ傷ついてる。私手貸さない。カカシが解決するよろし」
「なんで片言なの」
それきり夜はニャーしか言わなくなった。
なんという小姑。
俺は泣く泣く家事を始めた。
彼にできるせめてもの償いだ。
夜に言わせればそれも「私の側にいたいからだと思われてるわ」だそうだが、他に思いつかないんだもん。
【8】
風呂の準備に食事の支度。
全部終わったら返事のないセックス。
どんなに甘い睦言を紡いでも決して本気だと思ってくれない。
でも正面から「貴方が好き」とはもう言えない。
彼との関係を手放すのは死と同義だからだ。
本当のことを告げたら視線すら合わせてくれないだろう?
嫌だ。
俺は自分勝手。
知ってる。
【9】
ある日、急な任務で帰還が深夜になった。
部屋の明かりだけ確認して帰ろうとしたのだけど、
イルカ先生の怒声がして慌てて玄関の扉を開けた。
夜が俺の足下を駆け抜けていく。
「何かあったんですか!?」
イルカ先生は眉間に皺を刻んだまま首を横に振る。
頑なに何も話さないつもりだろう。
このままでは埒が明かないので、俺は夜を追いかけることにした。
踵を返した俺の後ろで彼の瞳から色が消えるのにも気づかずに。
【10】
「はい、ストーップ」
夜の首根っこを掴んで持ち上げる。
いくら上忍並みの力を持つと言っても俺との力の差は歴然なのは夜も承知しているので
抵抗せずに大人しくなった。
「何があったの?イルカ先生凄く怒ってた」
夜はうろうろと視線を迷わせてから
「子供が出来た。日向の猫と」
とだけ言った。
【11】
「はぁ。え、めでたいじゃない」
「イルカは私とアンタが付き合ってるって思ってるの」
「あ……」
「カカシさんのことはどうするんだって怒鳴られた。知ったこっちゃないわよ」
「ごめん……」
「だから言っちゃったの。別に付き合ってないって。バラしちゃった」
しれっととんでもない事実を告げる夜を掴んだまま、俺の中で先生と繋がる唯一の架け橋が崩落した音がした。
【12】
「元は俺が悪いんだから……仕方ないよ」
「全然そんな様子じゃないけど。雷出すの止めなさいよ」
言われて気づいたら雷が滲み出て、夜の毛が静電気で逆立っている。慌ててチャクラを鎮めた。
「ああうん、ごめん」
「私は今日帰れないけど、アンタは行った方がいいんじゃない?フォローしに」
「フォロー?」
フォローって何を?
「イルカ放り出してこっち来たんでしょう?私はともかくアンタが私に気があるって勘違いしてるに決まってるじゃない」
し ま っ た 。
【13】
瞬身の術でイルカ先生の部屋に到着すると、眼を真っ赤にした彼が座っていた。
「夜が……夜がごめんなさい。貴方の純情を踏みにじって……」
ああああ、確実に勘違いしてる。
「いえあの、俺本当は夜のことが好きって訳じゃ……」
このまま今までのように過ごす訳には行かない。せめて真実を告げようと腹を決めた。なのに。
「からかってたんですか?」
泣きそうな顔をして彼が言う。
【14】
「は?」
「夜と二人で、お、俺を……」
「ちがっ」
弁明も聞かずイルカ先生は俺をアパートの廊下へ押しやった。
「帰ってください、帰れ!」
一瞬体が外に出たかと思うとすぐさま結界が張られてしまう。
解術するのは容易だ。しかしそれをしてしまったらイルカ先生は更に傷つくだろう。
それでもやりきれなくて、先生の部屋の前の手摺をチャクラも練らず力任せに殴りつけた。
通じないのはどうしてこんなにも苦しいんだろう。
【15】
何日も彼を追跡する日々が続いた。
謝ろうとするタイミングで何故かいつも邪魔が入る。
イルカ先生は明らかに憔悴していて、職場の仲間にも心配されている。
そのたび気丈に振舞うのだが、それも限界に近いらしい。
それほどに彼を傷つけてしまった。
俺は何をしているんだろう。そして何をしたらいいんだ。
【16】
木の上からイルカ先生の様子を伺っていたら隣に夜がやってきた。
「アンタがどうにかしないと私も家に帰れないんだけど」
「うーん…飯食ってる?」
「日向に引き取られそうになってるわ。イルカと話をしなきゃいけないのに。意気地なしのせいで」
「うん……」
「簡単なことなのにどうしてアンタ達はこじれるのよ。馬鹿ねぇ」
夜は幾分艶やかになった毛並みを一舐めするとどこかへ消えた。
【17】
夜に発破を掛けられたこともあり、今日こそはと立ち上がった瞬間また邪魔が入った。
「イルカ先生!」
小走りで先生に近寄るのはくの一で、恐らく中忍だろう。
「薄荷じゃないか。どうした?」
その口振りから元生徒だというのが漠然と感じられた。
薄荷と呼ばれたくの一は視線を落とすと、少し震えながら口を開いた。
「あの、『補佐』として北の紛争へ行くことになったんです」
【18】
「あー…」
イルカ先生は言葉を探しているようだった。
「補佐」というのは表向きは現地の肩書きある上忍の補助活動が任務になっているが、
裏の意味では性欲処理も仕事に含まれている。俺は使ったことはないものの未だに続いている悪しき風習だ。
「先生、私本当は行きたくない。くの一がこんなこと言っちゃいけないのは分かってるけど……」
【19】
「いや、その気持ちは正しいよ。いいか薄荷、自分の本業だけすればいい。
嫌なことを求められたらそうだな、今北の部隊長は奈良上忍がなさっているから相談するといい。俺の名前を出しても構わない」
「でも先生」
言葉を重ねようとする薄荷の肩にイルカ先生は優しく両手を置いた。
「いいか薄荷、そういうことは好きな人とするものだ」
【20】
彼は目の前のくの一に言っているはずなのに胸が抉られるようだった。
それでもこの場から離れられない。
「イルカ先生はずっと好きな人としてきた?」どうしてこの少女は俺が聞きたくないことをそうズバズバと訊くんだ。
イルカ先生は少しの間俯いて顎に手を当てて考える素振りを見せると、顔を上げた。
【21】
それは今まで一度も見たことのないような穏やかな表情で。
「……ああ。すごく好きだった。今も好きだよ」
安らかな。
「恋人なの?」
「違ったなぁ」
苦笑混じりになってもまだ優しくて。
「よく分からない……」
少女の言葉にイルカ先生は一瞬きゅっと瞼を閉じてまた同じ表情に戻った。
【22】
「分からなくていいよ。好き合える人とだけすればいいんだ、悲しい思いなんてしなくていい。
本当はこういうことは、幸せだけついて回るものだ」
けれどそれが徐々に崩れて。
「悲しくなるのは、間違っているからなんだ」
やがてヘタクソな笑顔を貼り付けた泣き笑いになった。そして俺は本当の罪を知った。
【23】
「うん……先生ありがとう。えっと、先生も元気出してね?」
「ははっ、ありがとな」
二人はそのまま別れた。俺はその場でぐるぐると考えていた。
イルカ先生はあんなロクデナシな俺のことを好きでいてくれていて、
あんな顔をしてくれて、
でも間違ってるって思ってて。
幸せだけついて回るような、正しい関係に今からでも出来るだろうか。
【24】
イルカ先生が「今も好きだ」と言ってくれたからって手放しで喜ぶほどアホじゃない。
多分全部正直に話したら嫌われるし、蔑まれる。
それでもマイナスの、根っこからやり直せる可能性があるなら。それで先生がもうあんな表情をしないで済むのなら――
【25】
帰路に着くイルカ先生の腕を取った。先生は振り向いて俺を確認すると体が硬くなった。
実際目の当たりにするとショックだが、ここで凹んでいては前に進めない。
「な…んで……?」
「話をしたいんです」
「話すことなんてっ」
「あるんです、俺には山程。お願いだから家に入れてください」
真剣に頼み込むと、イルカ先生は渋々家に上げてくれた。
【26】
律儀に茶を淹れてくれるのが彼らしいといえばそうなのだけど、その間の沈黙がとても重かった。
ついこの間までは俺が牛耳っていた台所が遠い。
イルカ先生が俺の前に湯呑みを置いたところで、俺はまずしたのは頭を下げることだった。
「堪え性のない下半身ですみませんでした!」
あ、違う。まずはからかっていないことを証明したかったのに。
【27】
目の前のイルカ先生はポカンとしてしまっている。
「あ、あの」
「またおふざけになるんですね」
イルカ先生の諦めたような口調にカッとなって、体が勝手に動いた。ちゃぶ台が音を立てる。
「俺は貴方を一度もからかおうなんて思ったことはないッ!」
イルカ先生はふるふると首を横に振って
「じゃあどうして妙な告白をしたり、抱いたりしたんですか……」
と言葉を詰まらせた。
【28】
その問いに俺は歯止めが効かずついに身を乗り出した。
「イルカ先生が好きだった。でも貴方、俺が告白しようとしたら嫌そうな顔したじゃない!
振られたらもうずっと側にいられないでしょう? 関係を壊したくなかった。でも、頭ではそう思ってるのに
どんどんズレてきて、何が何だか……」
「嘘」
疑われても仕方ない。だけど辛いものは辛い。
【29】
「嘘じゃない。貴方に誘われて我慢できずに欲情して、愛を囁いたり尽くしたりしても相手にされなくて、
大事にしたいのに大事に出来なくて……貴方を傷つけておきながら俺は傷つくのも失うのも怖くて怖くて仕方なかった」
イルカ先生は聞きたくないとばかりに耳を塞ぐ。俺はそれに構わず半分叫びながら言葉をぶつけた。
【30】
「勝手なことばかり言ってるのは承知です。でも俺は、どんなに嫌われても誤解されても貴方の隣から離れられなかった。
イルカ先生が生きているのに側にいられないのが耐えられなかった。
貴方以外の大切な人は皆死んでいて、俺にはどうすることもできない……っ」
俺は項垂れ頭を抱えた。
正面から受け止めずに放置していた苦しみとまさかこんなところでぶつかることになるなんて。
「――馬鹿です」
そんな俺の前でイルカ先生はぽつりと零した。
【31】
「はい……」
「馬鹿ですカカシさんは。俺なんかの顔色伺って、そのせいで空回りばっかりして。傷ついて傷つけて、頭下げて……誤解とは言え貴方の恋心につけ込んだのは俺の方なのに」
「え?」
呆けて顔を上げるとイルカ先生は何も見えていないような濁った瞳をしていた。
【32】
「心が手に入らないならせめて体だけでもという浅ましい欲でした。自分でそんな状況を作っておきながら俺は勝手に傷ついて被害者面して……最低で、卑怯なんです俺は」
イルカ先生は散々自嘲して、最後に
「幻滅したでしょう?」
と吐き捨てるように言うものだから。
俺は本能的行動で彼の体を抱き締めた。
【33】
一瞬の停止の後イルカ先生はもがこうとしたけれどそれをがむしゃらに押さえつけて、ただ頭と背中をがっちり抱えて思いの丈を腕に込める。
やがてイルカ先生の腕がおずおずとと俺の背中に回されて、不覚にも俺は泣きじゃくった。
俺の肩も先生の涙で濡れる。
開いた溝も互いの心もその時にはたっぷりとした暖かいもので満ちていた。
【34】
「幸せなセックスしかもうしません!」
「聞いてたんですか!?」
「俺も好きな人としかしてませんから!」
「も、もうやめ…」
ぎゅうぎゅうと抱き合いながらじゃれ合う俺達の足下で、自力で窓を開けた夜が「鈍いのよあんたら」と毒づいて押入れに潜った。
二人で彼女に全裸で土下座するのはこの二時間後である。