九月十五日午後四時頃、ようやく任務完遂。
里までは全力で走って一時間半、指輪を今日引き取るにはギリギリだ。
宝飾店は午後六時閉店なのでそれまでに引き取りにいかねばならないのだが、火影様が絶妙にぶつけてきた任務は「頑張れば五時までに里に戻れるぞほっほっほ」という底意地が悪いにも程があるようなものだった。
走る。
俺の首を狙う抜け忍集団に襲われる。
返り討ちにする。
五分浪費。
走る。
行き倒れの老人発見。
食料と水だけ置いていこうとしたら捕まって近くの村まで連れて行かされる。
ルートを外れて二十分浪費。
老人の孫娘に特産品の芋を貰う。やけに重い。
重さに文句を言おうとしたらなんと木の葉の里への秘密の抜け道を教えてもらった。道は悪いが忍びには関係ない。三十分の巻き返しに成功。
走る走る。
木の葉の忍び集団が他国の忍び集団と戦闘中。見過ごすわけにも行かず一時間戦闘。
止むを得ず写輪眼を使ったためスタミナを大幅に消費。里まであと僅かなのに。
休ませようとする同胞達を無視して立ち上がる。が、立てない。
「ねえ、兵糧丸持ってない?」
隊長を名乗る男は申し訳なさそうに眉を下げた。
「すみません、皆切らしてしまって……」
「そうだよねぇ……」
本当ならイルカ君を今日手に入れられているはずだったのに。イルカ君は俺の帰還を待っていてくれているだろうに。
俺とイルカ君は十四年待った。
指輪が一日遅れただけでどうだと人は思うかもしれない。
だけど約束したんだ。ずっと一人で待たせてしまったから、今日から二人で人生を歩もうって。
もう辛い思いを、彼に一人で抱えさせないって。
チクショウ、俺は悔しくなって手近の芋を生のまま齧った。
突然、カッと体が熱くなった。力が漲ってくる。これは――――!?
「はたけ上忍、これ、『仙豆芋』です!」
「知らない、何それ」
「幻の土地『龍玉村』でしか栽培されていないという、体力全快の効果を持つ、いわゆるチートアイテムです!」
「え、あ、立てる! 動ける!」
俺はぴょんぴょんと跳ね回った。十分に動ける。これなら!
「残りはあんたらにあげるよ。俺は行く、愛のために!!」
『すぱーきんっっ』
男達による謎の声援を背に俺は駆けた。途中空を飛んだ気もするが、何分急いでいたので記憶が定かではない。
獣道を溢れ出る気迫で整地し、がむしゃらに前へ進んだ。道を選ぶのではない、俺の通った場所が道になるのだ。
後に出版されるであろう『はたけカカシ語録』のトップページに相応しいフレーズを念頭に足が千切れるまでひたすら里を目指した。
******
「い、ま、何時……っ」
傾きかけた太陽では細かな時間は分からない。まだ夏をしっかり引き摺る日差しだ。汗が毛穴から噴き出す。滴る塩水に目を細めながら空を睨みつけた。俺は六時に間に合ったのか、否か。
門の前で、倒れそうになる体を必死に支える。目的の店まであと僅か。
たとえ間に合わなくても優しいイルカ君は指輪は明日でも構わないと言ってくれるだろう。出立前も「無理だけはしないでください」とお願いされた。だけど、それじゃいけない。
イルカ君の誕生日から始まった俺達の繋がりを、俺の誕生日で確かなものにしたい。
かつての再会の約束も此度の婚姻も、元を辿れば全て俺一人の我侭なのだけど、イルカ君は諦めずにずっと待っていてくれている。
三十路を目前にしてこんな主張もどうかと自分でも思うけれど、俺は『お兄ちゃん』なんだから、『やくそく』を破っちゃ駄目なんだ。
そして――――十四年前掴めなかった、あのちんこをこの手に!
拳を握り締め最後の数百メートルを駆けようとした瞬間だった。
ゴーン、ゴーン、ゴーン、ゴーン、ゴーン、ゴーン。
六つの鐘が無常にも鳴り響いた。時の鐘だ。つまり、今が午後六時。
俺は敗北したのだった。
「こ、ここは見事間に合ってイルカ君とイチャイチャハッピーエンドの流れだったでしょうが……」
駄目元で店の扉の前まで来ても、既にシャッターが下ろされていた。押し入りたい衝動に駆られるが、通報されて逮捕されては元も子もない。
こうなったら帰ってすぐにイルカ君に幻術を掛けて明日を十五日と思わせる他ない。練るだけのチャクラが残っているか確認しようと印を組もうとしたら、声を掛けられた。
「カカシせんせー!」
振り向くと立っていたのは金・黒・桃色の部下達だった。今日は俺に任務が入ったから自主トレを命じておいたはずだ。キツめに設定しておいたのだが、終わったのだろうか。
「どうしたのこんなとこで。悪いけど今ね……」
「じゃじゃーん!」
子供達が自慢げに差し出したのは、大きなダイヤモンドの他細部まで細工された、ペアの指輪だった。全てが俺の注文通り。これは、紛れもなく。
「お前ら、どうして?」
震える手で受け取ったソレはしっかり重たかった。俺だけでなく、三人の思いも乗っかっているから余計にそう感じるのかもしれない。
「サスケ君がカカシ先生に変化して、ナルトがいつも先生が下忍用の報告書に押してる印鑑になったの。私が先生の右手になってカンッペキに筆跡真似しといたから不備はないはずよ!」
「カカシ先生が指輪のお金先払いしてくれてて助かったってばよ〜! 俺達も一応有り金持ち寄ったけど全然足りないし! 目ン玉飛び出るかと思った……」
「感謝しろよ、カカシ」
「お前ら……」
俺は今、可愛い部下達を全世界に自慢したくて堪らない。
「だって今日はカカシ先生とイルカ先生の二人が幸せにならなきゃいけない日だもの」
とサクラが微笑む。
「俺達サクラちゃん家の夕飯にお呼ばれだから行けないってイルカ先生に言ってあるから!」
とナルトが飛び跳ねる。
「明日は遅刻すんなよ」
とサスケは憎まれ口を叩きながら、頬をほんのり染めてそっぽを向く。
俺は年のせいで緩みやすくなった涙腺を懸命に酷使した。こんな時顔を隠していて良かったと思う。まだ彼らの前で涙は見せられない。
「ありがとう、お前達。明日は三時間以上遅刻するからそのつもりでな!」
途端に騒ぎ出す三人を前に、見栄もあり最後の余力で瞬身の術を使った。目的地は勿論、俺の帰還を待っていてくれているイルカ君の家だ。
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ドタッと尻餅をついてしまったが、座標は寸分の狂いもなく、きちんと中忍寮の居間に到着できた。
「わっ、おかえりなさいお兄ちゃん!」
台所にいたイルカ君がエプロンを着けたまま駆け寄り、一つ一つ俺の装備を外す。途中鍋が吹いているのを指摘した時だけ慌てて火を消しにガス台へ向かったけど、それ以外は料理そっちのけで俺の体をお湯で絞ったタオルで拭ってくれた。
「ごめんね、折角ご飯の用意してくれてたのに、ちょっと今無理っぽい」
ホカホカの手料理も、今は残念ながら胃が受け付けない。
イルカ君が俺の指を二枚目のタオルで包み込む。土くれが剥がれて、人に戻る。
「いいんです。それよりも、無事で良かった……」
その言葉に、帰って来てよかったと心底ホッとする。そして、あんなに苦労した贈り物の記憶が蘇った。
「そうだ、寝ちゃわないうちに」
腕が持ち上がらないので頼んでベストを取ってもらう。先程子供達から手渡された指輪を何とか掴み、イルカ君の前に差し出した。
「はい、約束」
割った亀裂をそのまま残した独特のデザインのそれに、イルカ君は目を瞠った。閉店に間に合ったとは思ってなかったみたいだ。
「え、まさか間に合わせるためにこんなに疲れてるんですか!?」
「うーん、頑張ったけど結局届かなくて。でも子供達が知恵を絞って俺に成り代わって受取ってくれた」
「あいつらが……」
じぃっと手の中の小さな輪を眺めるイルカ君は教師の顔をしていた。慈愛に満ちた表情はクシナさんの話をする時のミナト先生に似てる。
「サクラが言ってたよ。今日は俺達が幸せにならなきゃいけない日だって。年かねえ、うっかり泣きそうになっちゃった」
せんせー、とわらわら群がる子供達一人一人の頭をわしわしと大きな手で撫でるイルカ君に、話し掛けることすら許されなかった苦しい期間を思い出す。あれは、守るべき里の確たる姿だった。
「いいね、上忍師。あんな良い子達を持てたのが幸せ……あ、あの子達を真っ直ぐ育ててくれたイルカ君にも感謝しなきゃ」
「……っ、お兄ちゃんはいつもオレを泣かせる」
俺の汚れたアンダーシャツに、染みが一つ、二つと増える。
「ごめーんね。これからは一緒に笑お。泣いたり怒ったり絶対すると思うけど、その何倍も隣で笑おうね」
このシャツ、洗濯されちゃう前に布団と一緒に結界の中に仕舞い込みたいなぁ。
******
布団に運んでもらって一緒に潜り込む。晩ご飯食べなよと勧めても、イルカ君は頑なに首を縦には振らなかった。味見したから大丈夫などと強がりを言う。
イルカ君は、あの夜から俺と布団の中でお喋りをしたかったのだと教えてくれた。受付でプロポーズした日から火影様に散々任務を詰め込まれていたから、実はこれが初めての同衾なのだ。
何の話をしよう、とはにかむイルカ君は健康的でとても可愛い。体さえ動けば押し倒すのに。己のスタミナのなさを俺は嘆いた。
「今日の晩ご飯はカレーだったんですよ」
「もしかしてイルカルデラ?」
「! それは忘れてください……」
「いいじゃない。イルカ君が俺に作ってくれようとしてたこと知ってたよ。お皿出てたから」
「じゃあ明日、久し振りにやりますね」
「楽しみ。歌も歌って欲しいな」
「それも覚えてたんですか!?」
「全部覚えてるよ。何年か振りの楽しい夜だったもの」
「……オレもね、あの時お兄ちゃんといっぱい話したいことあったんです。お兄ちゃんを縫いつけおばけと間違えてお風呂に入れなかったこととか」
「あはは、それでおねしょしちゃったんだもんね」
「うう……あ、でもあの時貰った布団はまだあるんですよ。生徒が来た時に出すんです」
「子供サイズだったからねー」
「ボロボロですけど、つぎはぎして使ってました。成長して足がはみ出ちゃった時はショックでした」
「ありがと、大切に使ってくれて」
捨てられなくて、と鼻の傷を掻くイルカ君が、ハッと何かを思い出したように首を持ち上げた。
「そうだ、一番言いたかったこと忘れてました!」
「なあに?」
イルカ君はかつての悪戯小僧らしく、くふふと忍び笑いをしてから
「お兄ちゃんの髪は、ピカピカ石……今は指輪ですけど、これに負けないくらい綺麗だって!」
と、俺が彼を欲したあの瞬間のものよりも、もっともっと眩しい、ぴかぴかの笑顔で教えてくれた。
俺にとっては、それがこの世で一番の絶景。
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力尽きるように眠った俺は翌日も惰眠を貪ろうとしたものの、イルカ君に起こされて待ち合わせ時間ピッタリに集合場所に赴きナルト・サスケ・サクラの三人どころか他班、それに火影様にまで盛大に驚かれた。何故か紅には「何もしなかったのかヘタレ」と蹴られた。
その日トラップ班のミスで第八演習場にクナイの雨が降ったのはそのせいではない……と思う。
部下達は互いに切磋琢磨しすくすく成長している。中忍試験に推薦してもいいかもしれないと思い始めてるけど、イルカ君に相談するつもりはない。
ちなみに、そのイルカ君は同衾する度に思い出話をして、一人男らしくガーガーと眠ってしまうので、俺の野望はまだ達成されていない。
歴代火影様、俺もそろそろ限界です……。
エロなくてすみません……すみません(埋