こつ

 昔々、ではなくどこかの昔、里から離れた藪の中に小さな庵があった。
 そこには二人の男が慎ましやかに暮らしていた。必要最低限の山の恵みをいただき、日々を生きる。全ての命に感謝をする。
 そのように穏やかに暮らす彼らは、実は少し前まで人殺しを生業としていた。
 二人はそれぞれ生きるために人を殺し、その報酬を得ていた。
 人としての感情が枯渇する寸前まで流れ出た時に出会い、そして惹かれ、彼らに人殺しを強制する者達の元から逃げ出した。
 鈍く光る髪を持つ男はカカシといい、彼が特殊な呪いを使えたために人から隠れて生活することができた。
 闇を吸い込んだような黒い髪と黒い瞳を持つのがイルカという名前の男で、一見蚊も殺せないような懐っこい顔をしていた。実際人殺しは苦痛でしかなかったようだが、それでも殺さなければ自分が死ぬという状況で生きてきた。
 カカシとイルカは寄り添いあい、幸せを手に入れたつもりだった。
 二人は布団に入ると、どちらともなく手を握り合って眠る。
 そうすれば何か異変があった際に握る強弱で相手に言葉なくとも伝えられるし、何より安心できたからだ。
 彼らにとって安心という言葉は、出会うまではどこか遠くの、ふかふかのベッドで子守唄の中で眠れる子供しか知らないであろう感情という感覚だった。
「おやすみなさい」「おやすみ」
 蝋燭の灯りを消すと、無。
 昔は目を瞑るだけが眠りだった。
 初めこそは共に布団に潜った時など、不安をかき消すがごとく互いを貪りあっていたが、日を経るにつけ鎮まり、今は自然と眠りに落ちる。虫や鳥の声を遠くに聞きながら。
 その夜、カカシの掌は乾きがちで、イルカの掌は反対にしっとりとしていた。
 隣の寝息を確認してカカシも意識を落とそうとすると、コツ。
 何か叩くような音だ。
 起き上がるも、人の気配の欠片もない。風だろうか。
 そもそも、この地には誰一人近づけないように厳重な罠と結界を張っている。近づけるはずもない。
 だが、万が一を考えカカシはイルカと繋がっていない逆の手で布団の下から苦無を取り出した。冷たい汗が背中を流れる。
 コツ、コツ。
 音に全神経を集中させると、あることに気づいた。
 外ではない。
 この音は、中から。
 家の隅に巣食った鼠の一家は先日の大掃除の際に追い出した。間諜であったら困るからだ。
 一分の隙もないこの一見煤けた庵のどこに。
 どこだ、どこだ、だれだ?
 二人のささやかな幸せをぶち壊しにする者は何が何でも殲滅する。
 カカシは隣に寝ている伴侶を起こさないように半身を捻った。
 それでも少し動いてしまうのは仕方ない。
 カタッ
 不自然な音だ。視線をすぐ脇に動かし、目を剥いた。
 そこに見慣れた伴侶の姿はなく、綺麗に一揃い組まれた骨が横たわっていた。
「なっ!?」
 身を離そうとして、気づく。
 白骨と繋いだ掌は乾いていない。
 存在の証明のようにしっとりと湿っている。
 どちらがまやかしか。
 骨と化したその姿、それとも握ったまま離れぬ掌。
 一人で国を滅ぼしたこともある百戦錬磨の人殺しも、ようやく手に入れた愛しい者の前では平静さを失い、狼狽える。
 コツ
 まただ、どこからこの音は。
「こつ」
 頭蓋骨の口元が上下に動く。
 カカシの脳はその時、骨の言葉を字として受け止めた。
「骨、骨」
 ざあっと、家の中に風が吹き荒れる。
 周囲を見渡してみれば、そこはかつて自分が最後に潰した、生まれ育った故郷だった。
 イルカと逃げるため、腐りきった金の亡者達を完膚なきまでに葬った。
 ずりっ……ずりっ……
 かつてこの死体共に意のままに操られていた。下卑た笑みを浮かべるこの者達は、皆同じ顔をしていた。
 欲に塗れた同じ顔、それらが死んだままの姿で今、カカシと骨を取り囲む。
「ソノママノウノウトクラセルトオモッタカ」
 たっぷりと呪詛を撒く。おぞましい声だ。聞きたくない。
「お前らは死んでいる、あの国は再生したんだ。お前らは死んだ!!」
 カカシの叫びも虚しく頸動脈を一閃された者達が這いずり寄る。
「アノママイヌデアレバヨカッタ」
「ウラギリモノ」
「オマエニハシヌヨリツライクルシミヲ」
 その内一人の爛れた腕が骨に伸びる。
 それがイルカだという確信もないのに、カカシは激しく動揺した。
「よせ、よせ、よせ!」
「こつ!」



 それは紛れもなく伴侶の声色だった。
 カカシの名を柔らかく呼ぶ、芯の通った声だ。
「教師に向いてそう」などと戯れに告げたこともある。
 そういえばイルカはカカシよりも山深い場所で育てられたらしく、時々訛りが出ていた。川で珍しい魚を見つけ、カカシを呼ぶ時など――
「イルカ?」
 しっとりと湿った白い骨の掌が、答えるようにぎゅうと締め付ける。
 暖かい。
 あの日、カカシに生きる意味を教えてくれた温もりがそこにあった。
「イルカ」
 しっかりとその名を呼んだカカシに迷いはない。
 亡者達の成れの果ては悔しそうに呻くと、故郷の風景と共にぼろぼろ崩れた。
 風が吹く。
「こつ、こつ!」
 崩れた欠片は風に運ばれて、開けた風景の向こうにはカカシの掌を胸に寄せて必死に伴侶を取り戻そうとするイルカの姿があった。
「イルカ……」
「ッ、カカシさん」
 よかった、と力強く抱き留められる。
 この生のエネルギーによってカカシは此岸へと引き戻された。
「驚きました。酷く魘されてるかと思えば、半分消えているし」
「消えてたの、俺?」
 ブンブンと縦に首を振り、何があったのかとしつこく詰め寄られた。
 あれは幻覚か。それとも過去の殺戮に対する自責の念が得体の知れない何かに引っ張られたのか。
 答えが出るはずもない。
 ただ一つ真実があるとすればそれは。
「今も昔も、イルカがいるから俺はここにいるってことだねぇ」
 何ですかそれは、とイルカは布団に潜ってしまった。
 それでも繋がれたままの掌の温もりが、今宵もカカシを笑顔にする。

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