「うみの、お前バイクで通学すんなって言ってんだろ!指導室だ!」
それは生徒用昇降口での普段と変わらぬ光景。ああ、またかと思う者も既にいない。
一年B組のうみのイルカは札付きのワルだ。
それはこの私立火影高校に通う者なら誰だって知っている。
毎朝教育指導担当の猿飛アスマの怒号を受けながら悠々とバイクで登校し、授業はサボって出てこない。顔の中心を通る傷は暴走族を一人で潰した時に唯一つけられたものだと専らの噂だ。
それでも秀才という人種なのだろうか、勉強をしている様子はないのに成績だけはいつもトップのため退学にならない嫌な奴。
学業に関係ない娯楽物が校内に流行し始めるとイルカもどこで嗅ぎつけてきたのかそれを手に入れ、度の過ぎた使い方をするために持込が禁止されてしまうこともしばしばだ。
ここは進学校だ、成績に響いては敵わないので生徒達は校則違反はしない。
とばっちりを食うのはごめんなので、彼らはうみのイルカに近寄らない。
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「うみの、お前顔色悪いぞ? 授業時間になったら保健室に行けよ。紅に内線入れてやるから」
言うなりアスマはイルカの返事も聞かずに太い指で安っぽい電話機を弄り始めた。
一年B組のうみのイルカは札付きのワル、ということになっている。
それはこの私立火影高校に籍を置く教師なら誰だって知っている。
なまじっか頭が良いため、うなぎのようにするすると校則のグレーゾーンに逃げ込む生徒達に対抗すべく、指導強化の入口役として呼ばれたのが彼だ。
イルカは毎朝一般の生徒と同じ時間に登校し、生活指導室でアスマにねぎらわれてから空き教室で個別に授業を受ける日々を送っている。
『当たり役』となる代償は学費免除及び生活支援。うみのイルカは苦学生だった。
こつこつ真面目な性格のおかげでかなり優秀な成績を引き下げてこの高校に合格したのだが、受験後不幸が重なり無一文の上天涯孤独の身となってしまった。
合格発表に赴いたその足で入学取り消しを申し出に行ったところ、この学校の理事長である波風ミナトからこの役目と条件を打診された。
「勿論教育者としてしてはならない禁じ手だと分かっている。君も辛い思いをさせるだろう。断っても構わないよ」
イルカはその申し出を受けた。
三年間の友人関係を諦めれば決して悪い条件とも言えない。ミナトが苦学生である自分に勉学をさせるための苦肉の策として提案したことは表情や口調から十分読み取れたため、イルカは感謝の言葉と共に諾の意を伝えた。
その後の彼の働きは予想以上のものであった。この辛い環境の中一度も学校を休むこともないのだ。
それどころか生意気盛りな子供相手にささくれ立った心を癒してくれるような、気持ちの良い笑顔を向けてくれる。職員室の暗号交じりの会話でイルカは大人気だった。
そんな背景があるので、教師達はイルカに(こっそり)優しくする。
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保険医の夕日紅は特にイルカを構いたがる教師の一人だ。教師にあるまじきセクシーな格好で男子生徒をノックアウトし、さばさばとした姉御気質の性格で女子生徒からも支持を集めている。今日は燃えるような赤いブラウスと黒のミニスカートに白衣というどこかのお店のプレイ嬢のような服装だ。
「イルカちゃんいらっしゃーい、アイスあるわよ?」
爪の先まで油断のない大人のお姉さんなこの保険医がイルカを子ども扱いするのは常だったが、今の彼の体調では相手に出来るほどの余裕はなかった。
「ベッド貸してください……」
「じゃ、コレ飲んどきなさい」
目の前に突き出された飴色の硝子に一杯のスポーツドリンクを何とか飲み干して、イルカは清潔なベッドに倒れこんだ。
「ちょっと悪いんだけど出なきゃいけないの。保険医不在のプレートと鍵を掛けておくから安心して眠っててね」
喉から搾り出した返事は紅に聞こえただろうか。
パタンと扉が閉じられ、ヒールが床を叩く音が遠ざかって行ったのを聞きながらイルカは体の力を抜いた。
昨晩勉強に根を詰めすぎたかもしれない。
ぼんやりとした頭で天井の模様を見つめながら、これじゃ本末転倒だなと自らを嘲る。
たくさんの人の好意に甘えて暮らしているのに自己管理の一つも出来やしないなんて情けない。
この時間地理を教えてくれるはずだった猿飛ヒルゼン先生には、目が覚めたら謝りに行こう。授業の合間の与太話が聞けなくて残念だ。今日は前回途中で終わってしまったヒルゼン先生の南西諸島旅行記(ポロリもあるよ)の続きだったのに。
そんなことをぐるぐる考えながらイルカの意識は徐々に遠のいていった。
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体、とりわけ腰の周りが重い。
霞掛かった視界が徐々にクリアになり、イルカは首を下肢に向けた。
――――誰かくっついている。
布団の上に無造作に放られたスカーフにバサリと無造作に広がる高校規定のスカート、そこからは真っ白い足が伸びている。これはもしかしなくても……女子生徒?
「わ、わわっ、誰?」
叫んでも抱き締められた腕が解かれることはない。
生来真面目なイルカは同世代の女性に免疫というものがまるでなかった。特にこの高校での交流は皆無と言っていい。降って湧いたこの状況に思考がついていかない。
イルカを離さない誰かからは微かにシャンプーの匂いが漂ってくる。顔が見たいな、どんな人だろう。
ところが腹の辺りに押し付けられる銀色のふわふわとした髪を確認して、イルカの興奮は一気に冷め氷点下まで落ち込んだ。
冷静になってみれば女性のものとは思えない筋肉質の腕、太い首。スカートから覗く足も百メートルを五秒で走れそうだ。
「はたけ……カカシ……」
教師達から「ヤツには近づいちゃダメだ」と散々言い聞かされている、真の『問題児』はたけカカシ。
不良ではなく変人、最適な言葉を当てるならば『変態』だと誰もが口を揃えて言う。そんな彼が何故自分を抱き締めて眠っているのか。イルカの脳はこの状況を処理し切れなかった。
「せーかい〜」
「うわぁっ」
眠っているかと思いきや起きていた。色違いの両目を心なしかキラキラさせてイルカをじぃっと見つめている。
顔は超絶美形で成績優秀、しかし授業には一切出ずいつも女子生徒用の制服を着用している。学校で遭遇する確率は限りなくゼロに近い。
妖怪のように噂されていた半伝説上の人物と狭いベッドの上で二人きり。
「イルカくん、やっと会えた」
返事をしようとしてもイルカの喉はうまく機能せずに引き攣った声しか出せなかった。それでも構わないようで、カカシはキラキラというよりむしろ蕩けたような視線をぶつけてくる。
長い沈黙の後、やがてぽつりとカカシが掠れた声を零した。
「カワイー……」
瞬間ぞわわっとイルカの肌が粟立った。
「あ、鳥肌? 俺ね、囁く声がセクシーだってよく言われるの。気にしたことなかったけどイルカくんが反応してくれたんなら嬉しいな」
違う、そんな理由でサブイボが出たんじゃない。
イルカは懸命に身を捩ったが連続の「カワイー」攻撃にやがて反応する元気をなくした。
もう何も考えたくないが、このままという訳にもいかないのでとにかく現状に対する質問をしてみることにした。
「あの……何でこんな状態に……」
不良に対する嫌がらせですか? と続けるとカカシは即座に首を振り、「そんなことあるわけないじゃない!」と起き上がった。
「昨日やっと科学コンクール用の提出論文書き上げてイルカくんとの接触解禁令が出たの。だからね、いっぱいお洒落してから会いたかったんだけど寝坊しちゃって……でもここに来たらいるでしょう? 運命だよね!」
文章が不可解極まりない上に繋がらない。
大体鍵は閉まっていたはずなのにどうして入れたのだろうとイルカがふと疑問に思うと、カカシは「鍵はどうしたんだって思ってるでしょ」とエスパーしてのけた。何故分かる!
「今イルカくんの考えてることが分かったのも、俺がここに入れてるのも、全部愛の力だよ」
電波だ、とイルカは確信した。
首を伸ばし何とかカカシ越しに近くのテーブルを確認すると蝶のようなキーホルダーのついた鍵束が目に入った。何のことはない、どんな敬意で手に入れたのかは知らないがカカシが合鍵を持っているだけのことだった。
この男は危険だ。イルカの脳が遅すぎる警鐘を鳴らす。
こういう時はあれしかない、三十六計逃げるにしかず。
そうと決まれば、とイルカは身を起こし駆け出そうとしたものの、くるぶしを捕えられ呆気なくつんのめってしまった。
「どこ行くの? 拗ねてるの?」
カカシの整った眉がはの字を描く。イルカの心は一瞬ほだされそうになったものの、根性でぐっと堪えた。
「な、何に対して……」
「だってずっと会えなかったから。そうだ、アニメみたいにエンゲイジしよっか。そうすればイルカくんも安心だよね」
カカシは足から手を離し、体勢を変え前から膝でイルカをロックした。その格好のまま放られていたスカーフを掴み、手早くイルカの首に蝶結びをつける。じろじろと様々な角度から眺め、一つ頷き「上出来、カワイー」と再びイルカを抱きこんだ。そしてあろうことかそのまま背中をベッドに押しつけて来る。
「ね、優しくするから」
嫌だ、聞きたくない。スカート越しに何が押し当てられているなんて考えたくもない。
嗚呼神様仏様ご先祖様父ちゃん母ちゃん、誰でもいいから助けて!
イルカの必死の願いが通じたのか、ガツンと大きな音がしたかと思うとカカシがイルカの上に突っ伏した。
「かーかーしー」
神仏父母の化身は殺気さえも滲ませる、セクシー過剰な保険医だった。手には救急箱を持っている。それで殴ったのだとしたらコブが出来たかもしれない。
「げ、紅」
怒髪天という言葉を視覚化したらきっと今の彼女のようになるのだと思う。
「紅先生!」
「大丈夫イルカちゃん? 今すぐこのエロガキ締めてあげるから」
締める、という単語に呼応してカカシのただでさえ色白の顔が真っ白になった。
「ごめん、また後で迎えに行くから!」
言うなり、カカシは鞄を引っ掴み窓から消えた。
静寂。
急に訪れた地獄は同じように急に去っていた。
「一年掛かると思ったけど三ヶ月で完成させたのね……」
窓を眺めてぽつりと紅が漏らした一言にイルカは首を傾げる。その様子を確認した紅は、「とりあえず水分を取って落ち着きましょう」と冷蔵庫に向かった。
「こうなったら全部話すわ。理事長も一言連絡をくれればいいのに」
スポーツドリンクを運んできた紅の表情はどこか硬かった。
続かない
浮かべば書く……かも?
夏のお蔵入り作品その2
既存の物と表現が被ってますが目を瞑ってください(をいコラ
タイトル、某英国魔法小説を意識したとか言ったら笑いますか?←