任務帰りに街の露店で鉢を買った。
浅黄色で口広のそれを、ベッドの脇に置いたらいいんじゃないかと何となく思いついたからだ。
俺は鉢植えのある生活を妄想しながら、鉢を両腕に抱えてホクホク帰宅した。
これでいい。これがいい。
何を育てるかは鉢を見た時点で決めている。
弾力も手触りも申し分のない、イルカ先生を植えよう。
俺の額に傷がつきはしたものの、それ以外は何事もなくイルカ先生を鉢に植えることに成功した。
土の中に足を固定し術を唱えると、逃げようと無駄な足掻きをしていた彼も俺の本気を悟ってか体を硬くした。
ああ、それにしてもとてもいい鉢だ。
イルカ先生の健康的に焼けた肌によく似合う。
イルカ先生の食事は水と栄養剤というわけにもいかないので、三食きちんと作る。
口を真一文字に結んでいても、ちらっと子供達の話題を出せば恨みがましそうに、俺の差し出したスプーンに噛みついた。
俺は思い出話をしたいだけなのに、彼は両耳を塞ぎそれを拒む。
ま、無理もないか。
黙々とスプーンを差し出しながら、俺は彼の頑なな態度が軟化するのをじっと待った。
イルカ先生は、鉢の縁に腰掛けることが多くなった。
俺が任務から帰ってくると、真っ暗な部屋の中央で膝を抱えている。
手の届く範囲に支度しておいた皿の上には、家を出る前よりくたびれただけのメニューがまるっきりそのまま乗っかっている。
「せんせ、ご飯食べないとだめだよ」
イルカ先生は、いやいやと首を振った。
こうして彼は、俺の差し出すスプーンからしか食事しなくなった。
懐いてくれたのはいいが、これでは任務に行けない。
火影様にダメ元で相談してみると、日帰りのみは厳しいがなるべく三日以内で帰れる任務を回すことを約束してくれた。
「カカシ……」
綱手様の表情は暗い。
「そんな顔をしないでください。俺なら大丈夫です」
振り向かず、執務室を後にした。
帰宅するとイルカ先生は花の咲いたような笑顔を見せてくれる。
それからたくさん話しかけてくれる。
やがてそう日数も経たないうちに俺が出掛けるのを嫌がり、涙目で引き留めてくるようになった。
「カカシさん、お気をつけて」
そう言いながら裾を掴む。
ぎゅっと、力強く。
「せんせ?」
自分でも気持ち悪いくらいの猫なで声で諭しても、握った拳から服を解放してはくれない。
説得に要する時間も段々長くなっていった。
今日も十数分かけてイルカ先生を説得し、ようやく買い出しに出られた。
商店街を回ると時間が掛かるので、スーパーに行くようにしている。
そこで、サクラに会った。
かごをぶら下げて甘味を買い込む俺を発見したサクラは、悲しそうに眉を下げてから、「ちょっと待ってて」と言って併設されている花屋に走った。
戻ってくるなり、大きさの割に重たいビニール袋を押しつけられる。
ピンク色の小さな花をいくつも咲かせた鉢植えが白い空間の中で揺れている。
「イルカ先生の隣に置いてあげて」
サクラは無理矢理笑っていた。
「うん、ありがとね」
俺も無理矢理笑って礼を言った。
イルカ先生は俺が外に出るのを嫌う癖に、スーパーの袋を見るや否や中を見せてとせがむ。
アイスが入っていると鉢ごと飛び上がって喜ぶので、三回に一回は買って帰ることにしている。
毎回でないのは、溢れた土の後片づけが大変だからだ。
今日の先生は大根がはみ出た袋よりも、別に分けられた袋に興味を示した。
「こっちがいいの?」
頷く先生。括った髪がぴこぴこ揺れる。イルカ先生は少し痩せたが、髪は萎れない。
「どうぞ。イルカ先生にって貰ったものだから」
ニコニコしながら白い袋を受け取り、開いた。
目が見開かれる。
様子の変化を問おうとする前に、イルカ先生はあろうことか、袋ごと鉢植えを壁に叩きつけた。
俺は考えるよりも先に彼の頬を張った。怒号と共に。
何てことをするんだとか、そんなような内容を言ったと思う。
よく覚えていないのは、イルカ先生がカーテンの隙間を指差し泣き叫んだからだ。
駄々っ子なんてもんじゃない。
それは痛みを持った叫びだった。
「ああなるのはやだッ」
浅黄色の鉢にしがみついてイルカ先生は嗚咽を溢した。
窓から覗くごみ捨て場には、まだ生きているにもかかわらず廃棄された鉢植え。
貴方、あれが怖いの……?
イルカ先生は人でなくなった。
俺に愛されて喜ぶ植物となった。
愛情を注がれなくなった植物と自分を同一視するようになった。
ここまで長く苦しい時間を過ごしたが、これで終わる。
やっと愛しいあの人に会える。
俺はゆっくりイルカ先生に近づいた。
そして俯き涙を流す彼の髪を掴み、―――― 一思いに手折った。
イルカ先生が目を覚ましたのはきっかり二週間後だ。
俺はその知らせを執務室で聞いた。
ちょうどイルカ先生のことについて綱手様に報告を終えたところだったので、制止も聞かず窓枠を蹴り、病室まで駆け込んだ。
ベッドの中で美人看護師に鼻の下を伸ばしているのは、俺の知ってる、俺の愛したイルカ先生だ。
ちょっと前までは嫉妬していたのに、今はただ嬉しい。
「少しだけ狂わせる術?」
ベッドの上でラーメンを啜りながらイルカ先生が首を傾げる。
「はい。イルカ先生にかけられたのは、子供の声を聞くと吐き気を催す術でした」
病院で精神的なストレスと診断され、イルカ先生は教師でなくなってしまった。
そのストレスが他の綻びを産み、負のスパイラルへと導く。
「そんなんでオレは狂いましたか」
「狂いましたねぇ」
イルカ先生は「あらまあ」と他人事のように相槌を打つと、おもむろに丼を傾けスープを全て飲み干し、盛大にゲップした。
「それでカカシ先生がオレを植えたと」
今はお見舞いにと寄せられた花々が無作為に生けられている浅黄色の鉢をぺちんと叩く。
「いい鉢でしょ」
「オレ焼き物はさっぱりで」
「それは残念」
他愛もないやり取りでさえ心が震えているのを貴方は知っているだろうか。
「そううまくいくもんですか」
「この術は単純だからこそ、閉心に長けた忍の深層にまで傷を作れる厄介なもので、術者は対象が狂うのをじっくり待つだけって寸法だそうです」
「悠長ですね。でも、何でオレだったんでしょう?」
イルカ先生はまた頭にハテナを浮かべつつ、テウチさんにより持ち込まれた二杯目の丼に手を伸ばした。
「理由は何となく分かります」
犯人は特別上忍。
「えっ、教えてくださいよ。やっぱりナルトですか?」
九尾は関係なし。
「墓まで持っていきます」
あったのは歪つな想い。
「えー、オレは被害者ですよー」
「重要機密に今認定しました」
不本意ながら術者も俺も、この人を閉じ込めたい気持ちは一致してた。
心理学をかじった忍びが捻じ曲がった愛を成就させようとした結果、彼は悲しみに暮れとことん狂った。
リセットするには一度人格を放棄するしかなかった。
特別上忍は独占するために術を掛け、俺は解放するために閉じ込めた。
解術のタイミングは人でなくなった瞬間。
やろうと思えばその時に洗脳だってできたけど。
イルカ先生は既に二杯目のラーメンを完食し、三杯目のオーダーにかかっている。
仮にも病み上がりなのだがなけなしのチャクラを式に注ぎ込んでいる。
「植物状態の時の方がバランスのいい食事してましたよ」
「そのせいで体が豚骨不足なんです」
自然と笑えた。
本当のイルカ先生は俺に感情をくれる。
こんな人、思い通りになるように洗脳したらつまらないでしょうが。
出前をウキウキ待つイルカ先生を愛でていると、廊下からサクラの気配が近づいてくるのが分かった。
あ、早足になる。ラーメンの匂いを嗅ぎつけたようだ。
やっと足音を聞き取った患者が丼を隠す前に、、引き戸が勢いよく開かれた。
「イルカ先生、ラーメンなんか食べて! カカシ先生もどうして止めないの!?」
ごもっともです。
イルカ先生は開き直ったのか、ふんぞり返って答えた。
「サクラ、おかゆには栄養なんてないんだぞ」
「二週間寝てた人には流動食が基本なの!」
叱られても屈せずラーメンの栄養について言い返すイルカ先生。
当然論破するサクラ。
俺空気。
きっちりお説教を済ませたサクラはそれでも、窓際に飾られた継ぎ接ぎだらけの鉢植えに目をやると少ししおらしい声を出した。
「本当は病室に鉢植えって良くないのよ?」
俺が植え替えた、サクラの髪色とお揃いの花はすくすく元気に育っている。
イルカ先生は葉をピンと弾くと、こともなげに言ってのけた。
「サクラがくれたものが悪い訳あるか」
やだ、イケメン。
イケメン発言が功を奏したのか、サクラは口頭注意だけに留めるとイルカ先生の検温を済ませさっさと出て行った。
俺は渋々立ち上がった、ものの。
つん、とベストが突っ張る。
つままれた端っこ。
バツの悪そうな表情。
洗脳はしなかったしできなかったけど、刷り込みには成功したのかも。
俺はわざとらしくイルカ先生の顔を覗き込んでからもう一度、今度はベッドに腰を下ろした。