国相手の大量暗殺任務もつつがなく終了し、撤収の準備に取り掛かっていたカカシ達の下に息を切らせた伝令が駆け込んできた。
ヤマトが水を与えてやっと一心地ついたその中忍は、カカシ達上忍がチャクラをセーブしつつも四日で駆けた道程を、なんと一日で駆けてきたと説明した。
上忍の集団に緊張が走る。そうまでして伝えなければならない内容とは。中忍は何とか立ち上がり、背筋を伸ばして告げた。
「結婚式が三日後なのに何ちんたらやってんだいカカシ! ……だそうです! スミマセン一言一句そのままお伝えするようにとの仰せだったので」
「……どゆこと?」
静かに首を捻ったカカシとは対照的に、その場は騒然となった。
「ついに綱手様身を固められるのか」
「俺達のおっぱいが……」
「お相手は自来也様か!?」
「里の宝が一人のものに……くぅっ」
やけにこの一個小隊はおっぱい星人が多いように感じつつも、そこに話題が行くと任務を終えた男達のおっぱい談義が始まってしまいそうなので口を噤んだ。カカシは尻派なので今回は分が悪い。
がやがやと騒がしい上忍達を前に、伝令の中忍はきょとんとして棒立ちになっていた。どうも誤解しているように思える。そしてそれを訂正すべく、少々声を張り上げ言った。
「あの、綱手様の結婚式ではなく、はたけ上忍のお式です」
中忍には、他の上忍達はともかくどうしてカカシまでが固まっているのかが理解できなかった。
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やっと人足るべき要素である言語を思い出したのは半分樹木のヤマトだった。
「えっと、君はカカシ先輩が結婚なさると聞いたのかい? 誰に?」
中忍はこともなげに
「里中が知っていてお祝いムードですよ。お年を召した方には、そういう大切なことは直接伝えるべきだという意見を主張する人々もいらっしゃいますが」
と答えた。
ヤマトは横目でカカシを見たが、どうも考えることを放棄したようで草を摘み始めているため一目で役に立たないことが分かった。つまり、本人に思い当たることがないらしい。
「カカシ先輩、現実に戻ってきてください」
「ん、あーどうせ火影様が勝手に見合い進めちゃったんでしょ。里に戻って断ればいいよ。お花さん綺麗」
カカシとヤマトの会話に中忍は再び疑問を持ち、恐れながらも発言した。どうにも話がおかしい気がしてならない。
「え、はたけ上忍が伝言でプロポーズしたんじゃないですか? 受付で、うみの中忍に」
中忍はそこから先目の前で起こったことを今でも夢なのではないかと思っている。
顔を上げて固まるカカシとヤマト。そのカカシに本気の憎しみを込めて殴りかかる上忍達。森中に響き渡る「俺達のアイドルを」という野太い声。クナイの雨と手裏剣の霰。
油絵を趣味としている中忍はほんわかと「これを絵にしたら大作になりそうだなあはは」などと軽やかに現実から逃避した。
「婚前交渉は」「チクショウ穢したのか」「あの笑顔があるだけで任務を頑張れたというのに既に人のものだというのか」「カカシ許すまじ」「綱手様のおっぱいしか受付には残らないというのか」「おっぱいおっぱい」「でもどうせ触れないんだよな」「カカシちんこもげろ」
呪詛の言葉だけでも阿鼻叫喚であった。そこに映像が付けば正に地獄絵図である。
木遁でカカシを辛うじて保護しつつこの状況を打破すべく頭をフル回転させていたヤマトが、ある一点に気づき木のハンマーで中忍を現実に引き戻した。
「ちょっと待って、君『伝言で』って言ったよね?」
「え、はい」
ヤマトは小さくガッツポーズすると、素早く印を組み上忍達を樹の檻で囲んだ。
「何をするヤマト!」
大技を繰り出してまでカカシに攻撃してきそうな程殺気立っている。チャクラ切れを起こした全員を運ぶのは真っ平なのでヤマトは腹の底から声を出した。
「皆さんストップストーーップ! カカシ先輩は無実です。皆さんの協定を破ったりしてません!」
ヤマトの脳内では金髪のだってばよ少年がラーメンを啜りながら「てへっ、ごめんってばよ」と謝っていた。
「全ての原因は伝達ミスです!」
カカシから待機中に聞いていたほんの小さな伝言の話、式に使うチャクラも無駄にしてはいけないという戒めだったのだが、まさかそんな大波乱に直結しているとは。
バカって怖い、ヤマトは初めてそう思った。
「伝達ミス? 忍びがんなことするわけないだろ」
いえ、あの子ならありえるんです。それに――――。
ヤマトの予想が正しければ、ナルト一人のミスではない。
「ねえ君、受付でうみの中忍にプロポーズ伝えたのってどんな奴だか聞いてない?」
上忍達と共に檻に詰められた中忍は震えながらも何とか答えた。
「え? た、確か肌の色が悪くてヘソ出してる黒髪の」
サイだ。彼は頭がいいから、伝えられた言葉が誤っていると気づいて何とか通じる文章に直してしまったに違いない。ヤマトはこの時ばかりはサイに同情すると同時に、よりにもよって何故プロポーズに聞こえるような文章にしてしまったんだと詰りたくなった。
「伝言ゲームが行われた可能性が極めて高いです! しっちゃかめっちゃかになった伝言を、頭の回転の速い人間が間違った成文化をした可能性が極めて!」
ヤマトの叫びに上忍達が拳を下ろし、集まってひそひそと相談を始めた。しばらくひそひそした後、代表者が前に出て来る。交渉する気があるようだ。
「おいカカシ、一先ず休戦だ。お前がどんな伝言頼んだのか一言一句間違えずに言ってみろ」
「えー……確か、『中川家一張羅着続けてます。あと廊下タワシと熱湯してください、お願いします』だった気がする。あとちょっと暗部の任務に関わるから困ったら五代目頼るようにも言った、ような」
「何だそりゃ」
暗号のような言葉の並びに一同が首を傾げた。だろうなぁと思いつつ、カカシが注釈を加える。
「中川家はまあ会話の流れで、廊下の熱湯消毒はちょっと思うところあってね。で、部下はチャクラはすごいけど成績はドベだったからなるべく簡略化したらこうなった」
代表の上忍は低く唸って、今度は伝令の中忍に矛先を向けた。
「……中忍、プロポーズの言葉って広まってるか」
「そりゃもう、受付にいた全員が聞いてましたからすぐに広まりましたよ。『貴方だけを一生愛し続けます。ああ、どうか私と結婚してください、お願いします』。痺れましたねぇ。危険な任務前に想いを伝えたかったんだわはたけ上忍ってくの一達が感動しながら映画にする計画立ててましたよ」
男達はぶつぶつと二つの文章を呪文のように唱えると、上忍会議が再開された。
「響きは似てるな」「ああ、似てる」「でも無理がないか?」「しかし一致箇所も多い」「ヘソ出しの野郎はロマンチストだな」「陰謀を感じる」「カカシちんこもげろ」
一同は頷き合い、声明を発表した。
「その説を信じよう。ただしカカシ、お前は以前からうみのと飲みに行ったりし過ぎだ。だからとりあえずちんこもいどけ」
「なんでそうなるの!?」
風のように里の方向に遁走する上忍とそれを追いかける暴徒と化した上忍達をぼんやりと見送ると、中忍は「そうだ火の寺へ行こう」と一人行き先を違えて駆け出した。余談だが、彼はしばらく現実という現実を拒否して未知なる力を手にしたという。
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子供達の笑い声、威勢の良い商店の掛け声、等々。里が活気づいているのは音だけ聞いても明らかだ。
五代目火影の千手綱手はこのお祭りムードを楽しんでいた。結婚式用に売り始めたカカイルグッズの売り上げも好調、くの一達も目の下に隈を作りながら皆活き活きと輝いている。
綱手は元からこのプロポーズは何かしらのミスが起因だと気づいていた。だが、敢えてこの結婚を押し進めている。
名実共に有名であるカカシはともかく、中忍であるイルカにも、実はひっきりなしに見合いの話が舞い込んでいた。イルカがいつも断るので不審に思って彼を観察してみると、どうもカカシといる時だけ浮ついている。ははーんこれは恋だね、と亀の甲より年の功、かつての恋バナ大好きおませな綱手ちゃんが数十年ぶりに顔を覗かせ後押ししてみることに決めた。
大体カカシもイルカも自己の幸せを諦めている節がある。彼らの両親を知る綱手は、それがいつももどかしかった。
それがまとめて解決すればこんなに良いことはない。
既に各国の名のある者達への招待状の送付は済んでいる。大々的な結婚式の影響で思わぬ経済効果も生まれそうで綱手の機嫌も鰻上りだ。
カカシが断る可能性は一切考えていない。
綱手は諸国を回って人間を見尽くしてきた女傑だ。その彼女の観察眼が告げるのだ、おそらくカカシも――――
「綱手様!! どういうことなんですか!?」
窓から火影の執務室に駆け込んできたカカシは目を瞠る程ボロボロだった。全体的に埃っぽく、所々裂傷も見られる。はて、任務完了の式には滞りなく終了、犠牲者ナシと書いてあったのだが。
「遅かったじゃないかカカシ。式は目前だぞ、衣装合わせておいで」
「だから!!」
「なんだい、早々にイルカに会いたいのかい。だったら今頃はアカデミーの屋上だね。どうもマリッジブルーらしいんだよ」
綱手に話を聞く気は毛頭ない。後は当事者で話し合うことだとばかりに、カカシを入ってきた窓からそのまま放り投げた。
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イルカは眼前に広がる里をぼんやりと眺めた。里が元気なのは嬉しい。しかし、それは大きな勘違いの上での活気なのだ。
カカシの意見を無視した結婚式。
もうすぐ彼は帰還すると聞いている。皆がイルカに「良かったな」と声を掛けるが、その度に心がズンと重たくなる。
カカシは、反論せずに式に臨もうとしているイルカを罵りはしなくても良い感情は抱かないだろう。想いを寄せていると気づかれて嫌われるかもしれない。
「それは嫌だな」
言葉は風に運ばれ、すぐさま霧散する。
ここで、たった一人でならいくらでも心の内を零すことができた。
降って湧いた突然のプロポーズは、教え子への聞き込みからどうやらナルト達の伝達ミスらしいと調べがついている。綱手に進言したが相手にされなかった。それを不服に思う自分と喜んでしまう自分のせめぎ合い。
祝福の言葉に心から感謝の言葉を返せないことへの辛さ。だってカカシの想いは、あのプロポーズに一切入っていなかった。
「カカシさんに謝らなきゃ」
そう、謝らなければ。どうやら綱手は他里の長や火の国の名だたる大名へ手紙を出したらしい。だからもしかしたら、形だけの結婚式は行わなければならないかもしれない。
男と式を挙げるだなんて想像もしていなかっただろう。イルカも相手がカカシではなければ逃げ出していた。
普段ははっきり嫌なものは嫌だと主張できるのに、こればかりは断ろうとしても言葉が出なかった。体が正直すぎる。嫌気が差した。
「男らしいオレはどこへ消えたんだろう」
恋は人を女々しくさせると、深く溜息を吐いた時だった。
眼下の人々がこちらを指差してざわめく。いや、正確にはこちらに向かって飛んでくるものを、だ。
「鳥だ!」「UFOだ!」「ゴーイングメリー号フライングモデルだ!」
『いや、写輪眼のカカシだ!!!』
抜けるような青空をバックに弧を描いて飛んでくるのは、草臥れているものの明らかにカカシで、どうにも受身を取ろうとする気配がない。イルカは印を結んでチャクラを放出すると、足に込められるだけ込めて跳んだ。
カカシを受け止め、コンクリートの床に転がる。掌を鼻に近づけると呼吸があるので生きてはいるようだ。
「カカシさんっ」
覚醒を促すためにイルカが両手でペチペチと頬を叩くと、カカシは眩しそうに二、三度瞬きをしてから上半身を起こそうとしたので、手を添えて補助する。
「イルカせんせ……?」
傷だらけなのは任務後だからだとして、どうして飛んできたのかは分からない。ただそれを訊ねるより先に、イルカはカカシの体を検分し、骨折や臓器の損傷による症状がないかどうか確認した。
「大きな怪我はありませんが、ご無事とは言い難いですね」
「あー、そうね。イルカ先生ただいま」
「お、おかえりなさい」
カカシのいない一月の内に周囲の環境が目まぐるしく変化したために、いつもと変わらないカカシの態度がイルカにはこそばゆかった。しかし、すぐに体を強張らせる羽目になる。
「結婚式あるんだってね。俺知らなかった」
伝言の間違いだとは早い段階から分かっていた。けれど、やはり本人から否定されると苦しい。それもカカシにとっては青天の霹靂の出来事だから仕方ない。イルカには次に投げ掛けられる言葉の予測もついていた。
「何かすっごく大事になってるみたいだし、どうやって断ろうか」
やっぱり。短い間の夢が醒める時が来た。イルカは平静を装って、いつも通りの笑顔を貼りつけた。何度も練習をしてきた、この瞬間のために。台詞も一番自然なものを用意してある。
「そう、ですね。角が立たないようにしないといけませんね」
自分ではなかなかうまく笑えたと思ったのに、カカシは怪訝な表情でイルカの顔を覗き込んだ。
「伝達ミスかな」
「え、ああ、そうなんですナルトとキバと、それにサイが」
おかしな偶然のせいで正しく伝わらなかった伝言について説明しようとするイルカをカカシは視線と言葉で遮った。
「違う、俺の脳が。今一瞬、先生が悲しそうな顔したように見えて」
「そんな」
バレてしまった。今日までなあなあにしておいた浅はかな望みが。多くの人を騙しても見たかった夢の影が。イルカは詰る言葉を受け止め、感情の崩壊を防ぐためにきゅっと目を瞑って堪える姿勢を作った。だが。
「そしたら、結婚したくなった」
ごく普通に紡がれた言葉がイルカの耳を素通りして、再び慌てて戻ってくる。それに畳み掛けるようにカカシは告げた。
「ミスでもいいや。なんか俺、イルカ先生のこと好きみたい」
受付でのプロポーズよりもずっとあっさりとしていたものの、カカシの声に乗せられたその言葉には確かに照れくさいような気持ちが含まれていた。イルカは詰まる喉から三文字の言葉だけをやっと吐き出して、引き寄せる腕のされるがままとなった。
逆転ホームランやー(棒
恥ずかしいほどのご都合主義でも構わないってばっちゃが言ってた