命が酸素という息吹を吹き込まれる音は大層グロテスクである。
半分死にながら、それでも生きるともがく。人間は誕生の瞬間が一番生に貪欲だ。
初めて生き延びた日。これからの受難のスタートの日。
それが、誕生日。
うみのイルカが最初に死の淵を見たのは、皐月も暮れかけた二十六日の晩だった。
その日は戦争が近く張り詰める木の葉の里の周囲で、侵入を果たそうとした忍びが二人処分された、比較的平和な夜だったと記録されている。
イルカは勉強はあまり好きでなかったが、ものを調べることに興味を示す子供だった。
先述の記録も、自分で書庫にこっそり潜り込んで探り当てた。
秘密の書庫は、埃と共に難しい言葉に溢れている。
忍び文字の勉強が駆け出しのイルカには、その記録以外に五月二十六日の出来事を読み解くことができなかった。
「オレのたんじょうびは、悪いやつが二人死んで、里のなかまはケガのなかった日」
イルカは嬉しくて、くふふと笑った。
木の葉の里は皆が家族だと三代目火影様が言っていた。黄色い閃光も、子供は分け隔てなく肩車してくれる。
優しい皆が、怪我がないといい。
木の葉を脅かす奴らは、皆やられちゃえばいい。
イルカはご機嫌な鼻歌をふんふん奏でながら綴り本を閉じようとして、一つの名前が気になった。
「悪いやつをころしたのは、はたけさくもと、むすこのかかし」
親子ですごい忍者なんだ、とイルカにはその二人の名前が一層きらきら輝いて見えた。
父ちゃんと母ちゃんと、オレの名前が並ぶ日もくるかな。
そんな夢を、さくもとかかしに重ねた。
ふわふわと素敵な未来を想像して、格子のはまった小窓から注ぐ光が傾いたのになかなか気づけなかった。
いけない。そろそろ出なければ、ここに繋がる秘密の通路を何も知らない火影の側近に閉じられてしまう。
それに、今日はイルカの生まれてから五回目の五月二十六日だ。
母親の作るごちそうを想像して、きゅるるとお腹が返事をした。
埃だらけなのを見つかる前にお風呂に飛び込んでしまおうと、イルカはこっそりほくそ笑んだ。
そうと決まれば。
ぎゅうぎゅうと歪に本を隙間に詰め込んで、床に掌と膝をついてぺたぺたと、真っ暗な口を開ける壁の穴をくぐった。
*****
忍術はちょっと下手。それはチャクラが上手に練れないからだ。エネルギーがどうしてもまとまらない、かといって、戦時中の今そんなことを先生に訊ねでもしたら役立たずの烙印を押されてしまう。
一回り大きくなった体は、穴を通り抜けるのも一苦労だ。
お尻をきゅぽんっと引っ張り出して、またどっさり埃の増えた本棚に向かう。
少し前よりも、頑張って忍び文字は覚えた。忍術が得意なエリート達よりも、読める種類は多いと自身を持っている。
それに今日は年齢だって一個増える。立派な忍びに近づいている証拠だ。
忍術がぼんぼん扱えたら、木の葉の白い牙と呼ばれるはたけサクモとその息子のカカシのように、誰かの誕生日を彩れる。
驚くことにはたけカカシは、イルカと四歳しか歳が違わないらしい。
自分だって頑張れば。
気合が入って、ふんっと腕まくりをした。網シャツの袖口が二の腕をきゅっと締める。
べたっと正座を潰した座り方をして、準備は万端だ。
手近な本を引き出して、目を上から下に動かす。時々下から上に読む変則的なものもあるから注意をしながら紙を捲った。
他国の攻め込み方について、里において注意するべき要所、絶対にバレないエッチな本の隠し場所(火影様の字だった)。
同世代の仲間が知らない知識を、手当たり次第スポンジのように吸い込む。
罠の仕掛け方、木ノ葉周辺の山に自生している植物から作れる強力な毒薬、危険な禁術。
今はできなくても将来きっと扱えるようになると信じて、ひたすら文献を読み漁った。
そして。
「あった!」
チャクラコントロールについて。
そう背表紙に書かれた本は、イルカの身長よりも少しだけ高い棚に収まっていた。
読み込まれたようで紙の端などボロボロだが、他の本と違って埃は被っていない。
「新しく誰かが入れたんだ」
この秘密の書庫がまだ機能していることに驚きつつも、タイトルに惹かれて喜び勇んで表紙を開いた。
一頁目、白い紙に、丁寧な筆文字が一言だけ書きつけてある。
忍び文字でも何でもない普通の言葉で、
『分からないことがあったら訊ねなさい』と。
誰が誰に向けて綴った言葉か分からないが、イルカは何となくこの字が好きになった。
優しくてあたたかくて、何だか父と母に似ている。
きっとこれも父と母のような誰かが、子供のために書いたに違いないとイルカは決め込んだ。
しかし、よく見るとその文字の周辺が黒くくすみ、紙も荒れている。
不思議に思い小窓から注ぐ光に透かして見ると、強い筆圧の鉛筆で何度も上から消した跡が残っていた。
ぐりぐりと一文字一文字を真黒く塗りつぶしている跡もあれば、大きくバッテンをつけたような跡もある。
更に奇妙なことに、それらはとても丹念に消しゴムで消されている。
どうしたんだろう。
首を捻りつつ、好奇心の赴くままに頁を捲りはじめた。
***
「すごい、すごい!」
イルカは頬を紅潮させながら本を閉じた。時間も忘れて没頭してしまい、まだ興奮が冷めない。
最初の一言と同じ筆跡で、チャクラコントロールについて実に分かりやすくまとめられていた。術の暴走の注意など、欄外に何行にも渡って書き込んである。
平仮名や図解が多かったこともイルカの理解を助けた。
まさに子供の忍びのための本だ。
分身の術はおにぎり程度の大きさのチャクラを体の外に押し出してから弾くように。
火遁の術は駆けっこしていて転びそうになったイライラをぶつけるように。
風遁の術は父さんの手裏剣砥ぎを手伝ってる時みたいに。
風遁の欄の隣にはこれまでの図と違い矢印が引っ張ってあり、髪の長い人と子供がニコニコしながら、並んで手裏剣や苦無を砥いでいる歪な絵が描いてあった。
「手裏剣砥ぎみたいにシュッシュッ、かぁ……」
イルカも図の中の親子のように、時々父親の道具の手入れを少しだけ手伝わせてもらっているからイメージは掴める。
理解しやすい身近な例を出されると、体がうずうずとしてきた。
今すぐに試してみたい。
けれど、本が大好きで内容を大抵覚えてしまうイルカでも、何行にも渡る細部の説明までは覚えきれなかった。今日は誕生日だからと張り切り過ぎて知識を得過ぎたせいもある。
誕生日だから。
誕生日は子供にとって特別だ。
だって誕生日の日だけは王様になれるから。
「借りるだけなら、いいよね?」
イルカにとってこの本は、母親が作って待っているケーキと同じくらい甘い誘惑だった。
そして日が完全に傾く前に、いつものように壁の穴を潜り抜ける。
来た時よりももっときつかったけれど、それでもやっとのことで抜け出した。
穴の入り口に引っ掛かったのは、ズボンの後ろに一冊の本を挟んでいたから。
誰にも内緒の誕生日プレゼントを、イルカはこっそり持ち帰った。