欲しいものはずっと腕の中に

 ああ、人を殺して帰ってきたんだなと思った。
 幼馴染のイルカがAランク任務に就くと意気込んで出掛けたのは三週間前のこと。
 中忍になって初めての任務だからと頑張り屋のイルカはいつもよりももっと気合を入れていた。
 怪我しないでね、としか俺は言えなかった。死なないで、とは頭で念じるだけ。
 イルカがいない間に俺もあちこち飛び回ったけど、 帰ってきた時にあの「おかえり」がないのは寂しくて苦しかった。
 他人の血で重くなった体を自分の力で人に戻すのは普段の倍の労力を必要としたからだ。
 イルカを「おかえり」と迎えてあげることを拠り所にして、今日まで頑張った。
「おかえり、イルカ」
「ただいま」
 小さく震えるその手にクナイを握って、誰かの心臓を一突きにしたのだろうか。 それとも繰り返し繰り返し一生懸命覚えた印を結んで、術で爆破したのだろうか。
 下忍時代、イルカは戦争に駆り出されても後方支援がほとんどで、他人を攻撃したことはあっても殺したことはなかったと聞いている。
 これを『殺人』と感じてはいけない。『任務』という名を貼り付けて正当化しなければ、忍びなんてやってられない。
 俺はワクワクした。
 やっとイルカが俺と同じ場所に堕ちてくる、これからは綺麗なイルカに包まれて人に還るのではなく傷を舐めあって戻って来られると。
「カカシ・・・」
 イルカは荷物を床に置くと俺にしがみついてきた。肩口が濡れる、泣いているんだ。
「ごめん、ごめんな」
 それは同じ忍びである俺に弱みを見せることに対する謝罪か、なんなのか。
 イルカがいつもしてくれるように全身を抱き込み、あやすみたいに擦ってみた。
「大丈夫だよ」
 これも受け売り。でも俺の言葉はイルカには届いていないようだった。
「ごめん、俺無責任で、嫌な奴で、ごめん」
 イルカは何かの理由で俺に謝っているみたいだ。でもその原因の見当がつかない。 ひっひっと痙攣する背中をトントンと叩いて注意を引き付けてから、出来るだけ優しい声を作って訊ねてみた。
「イルカの何が無責任なの?」
 話をしなければと思ったのだろう。イルカは俺から体を離してゆっくり深呼吸をした。
吸って吐くのを五、六回繰り返してようやく全身のこわばりが若干和らいだようで、ぽつぽつと話し始めてくれた。
「・・・あのさオレ覚悟してたはずなのに、人を殺すのがこんなに辛いとは思わなくて」
 イルカの目がきゅっと閉じられる。フラッシュバックしたのかもしれない。焦らなくていいよと伝えるとイルカは首を振った。
「今言わなきゃ。えっと、カカシはオレよりもそういう任務に就いてるだろ?  里に帰ってくるとうちに寄ってくれるから、カカシに落ち着いてもらおうと思っていつもよりも引っ付いてみたりしてた」
 引っ付くという表現が少々気に掛かったが、まあいいや。俺は視線で続きを促した。 でもイルカは言い辛いのか少し押し黙ってしまった。俺は急かさない、ただイルカの手を取って握ってあげるだけに留めた。 それで腹が決まったのかイルカはその後の言葉を一気にまくし立てる。
「今日戦いの後気づいた。カカシに引っ付いてる時気づかないうちに胸の隅っこで 『カカシ、それは任務だから、里のためだから』ってひどいこと思ってたのを」
 ごめんなさい、ごめんなさいとイルカは何度も俺に詫びる。しかし俺はそれがどうして悪いことなのかさっぱり分からない。
「イルカ、それって間違ってないんじゃない?だってその通りでしょ?」
 イルカは髪を振り乱して違うと言う。あんまり強く振るものだから髪紐が解けて豊かな黒髪が肩に落ちた。任務後で埃っぽいけど、俺が大好きなイルカの髪だ。
「カカシは、カカシは心を殺して働いてくれてたのに、オレ今日になって初めてそれがどんなに凄いことか分かったんだ。 それが任務で里のためでもやること自体は変わらないのに。オレ・・・オレっ」
 カカシに掛ける言葉も気持ちも心の底からのはずだったのに、それでも軽かったんだ、とイルカは泣いた。
 ああどうしよう、人を殺してもイルカはイルカ。
 イルカは同じ場所になんて堕ちてこないし、俺もイルカの場所まで這い上がれないのに互いが互いの中に侵食している。
 辛い任務の後に今までの俺の気持ちを思って泣くイルカ。
 一緒にいてくれるだけで十分なのに、それが足りなかったと後悔するイルカ。
 イルカが泣いているのに俺の全身は嬉しさに震えている。こんなのおかしいと思っても感情の波は一向に鎮まらない。
 この綺麗なヒトは俺のものだ。腹の底の獣が荒れ狂う。
 恥ずかしい話、俺はイルカが隣にいるのが当然だと思っていたし、それは家族の情に近かった。最初から側にいたから、二人ともひとりぼっちだから。
 獣が耳元で叫ぶ。そんなもんじゃない、お前はずっとこの綺麗なヒトの心も体も欲しかったんだ、全ての欲望をぶつけたくて仕方が無いのだと。
「イルカ、謝らないで」
 顔を上げたイルカの泣き腫らした目に口付ける。 イルカがこれまでこんな慰め方をしてくれたことはなかったし、俺がイルカを慰めることもなかったのでこれが二人の初めてだ。
「イルカのその気持ちだけで俺は人に戻れるんだよ」
 抱き込むとその身の全てが愛おしい。イルカは少しバタついたが、俺が離れる気がないのを悟ると抱き締め返してくれた。
 ずっとこのヒトに恋をしている。彼が生まれたその日から。


******


 初めて人を殺めたのは中忍になった六歳よりももっと前だ。そういう時代だったのだからそのことについてとやかく言うつもりはない。
 他人の肉を裂く感触が離れないまま夕暮れの里に帰ると、父さんに隣家へ連れて行かれた。
 暖色の光の中で柔らかそうな赤ん坊がキャッキャと笑っている。その日の朝生まれたのだとその子の父親であるうみのさんが教えてくれた。
 どうしたら良いのか分からなくてオロオロしていた俺の指をその子は握ったのだった。意図などない本能的行動だったのだろう。
 それでも許された気がした。ありがとうと言われた気がした。
 それから任務が怖くなくなった。里には『イルカ』と名付けられた赤ん坊がいるから。
 父さんが死んでオビトも死んで、先生もリンも死んだ。その都度俺は荒れたけど、最終的にこうしてイルカの元へちゃんと戻ってきている。


******


「カカシ、苦しい」
「あ、ごめん」
 力の入り過ぎた腕は緩めるけど体は離さないようにした。イルカが訝しげな顔をする。
「カカシ、俺もうそんなにギュウギュウにしなくても平気。カカシが引っ付いて落ち着かせてくれたし、許してくれたから」
 両腕で突っぱねようとするので、そうはいくかと体を摺り寄せる。
「離れたくないなぁ、俺イルカが好きだもん」
 ダメ押しに頭を押し付けてぐりぐりしてみた。こうすると大抵イルカは諦めてくれるから。
「はぁ?」
 イルカが素っ頓狂な声を上げた。いつもの状態にすっかり戻ったみたいだ。
「俺小さい頃からイルカが好きだったよ、気づいたのさっきだけど」
「・・・カカシ、オレ男だぞ」
イルカが口を尖らせる。
「知ってるよ、しょっちゅうお風呂にも入れてあげてたんだから。 イルカは俺とのお風呂を一番喜ぶって親父さんに泣かれたよ」
「女の子にモテるくせに・・・」
 背中に手を回して来た。
「よく考えたらこれまでの人生もイルカしか眼中になかったねー、俺」
「彼女いたことあったじゃん」
 腕に力が篭る。
「んー?くっついて来て勝手に去っていっただけだよ」
「・・・あの時オレすげー寂しかったんだからな」
「え?」
 顔を上げてもふいとそっぽを向いてしまって表情こそ伺えなかったが、その代わりに真っ赤になった耳が黒髪の隙間からぴょこっと覗いた。
「お、オレの方がカカシを好きって気づいたの早かったんだからな!」
 俺達は忍びで、『一生』ってヤツの終わりは明日かもしれないし十年後かもしれない。
「ねぇイルカそれって」
 でも人生のスタートから終わりまで大好きな人がずっと隣にいるんだったらそれってかなり幸せなんじゃないだろうか。
「黙れバカカシ!」
 でも出来ればこの優しくて意地っ張りで綺麗なヒトと一緒に気持ち良いことしたいし、共白髪になって縁側で茶を啜りたい。
「ずっと一緒にいようね」
 当たり前だ、とイルカは怒鳴った。俺は笑った。


カカシの気持ちをちゃんと汲み取れていなかったと涙するイルカが書きたかっただけ。
言いたいことは結局タイトル。



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